枦山智博
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枦山 智博(はぜやま ともひろ、1944年5月28日 - )は樟南高等学校の野球部監督。
鹿児島県垂水市出身。社会人野球を経て、1971年に母校・樟南高(当時・鹿児島商工高)の監督に就任。
監督就任以来枦山は樟南高を甲子園に22回(春7回、夏15回・2006年8月現在)出場に導いている。木内幸男、上甲正典、高嶋仁、蔦文也、中村順司、馬淵史郎、渡辺元智、阪口慶三らと並ぶ「名将」と呼ばれている反面、監督としての実績は1994年の全国高校野球で準優勝があるものの、前記名将らと比較して成績で大きく及ばず、樟南高は甲子園の常連校だが強豪校ではないとして名将と呼ぶことにふさわしくない、と異議を唱える人もいるが、鹿児島実業高等学校監督の久保克之(現・総監督)と共に鹿児島の高校野球を長年にわたりリードしてきたことは間違いない。
2003年7月1日に、自動車を運転中に事故に遭い、頭部を45針縫う重傷を負うが同年の第85回全国高等学校野球選手権大会で、ユニフォーム姿を披露して指揮し、回復ぶりをアピールした。
[編集] 甲子園での成績
- 春:出場7回・4勝7敗
- 夏:出場15回・22勝15敗・準優勝1回(1994年)
- 通算:出場22回・26勝22敗・準優勝1回