明石原人
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明石原人(あかしげんじん)とは、かつて日本で発見された化石人骨(ただし発見されたのは左寛骨のみ)をもとに日本列島に居住したと推測された古人類。
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[編集] 名称について
明石原人と呼ばれているが、これは、1960年代頃まで、日本では国内で発見された化石人骨を推定年代に関係なく原人と呼ぶ習慣があったためである。北京原人やジャワ原人などとは異なり、明石原人は、実際には原人ではない。
[編集] 発見と研究の経緯
昭和6年(1931年)4月18日、兵庫県明石市の西八木海岸において民間人・直良信夫が発見した。しかし直良が無学歴のアマチュア考古学者であったこともあり専門家には相手にされぬまま、化石現物は第二次世界大戦中の1945年5月の東京空襲で焼失してしまった。
戦後、化石現物から採取された石膏模型を東京帝国大学理学部人類学科教授・長谷部言人が調査した結果、新種の原人「明石原人(ニポナントロプス・アカシエンシス)」であると主張した。しかし化石は既に無く、疑問を呈する研究者も多かった。1982年に至って、石膏模型をコンピューターで解析した結果、明石原人は現代人と呼んでもよい新しいものであると結論された。
なお発掘現場の海岸の地層調査などにより、旧人だったのではないかとする説もあり、化石人骨であった可能性は消えていない。
[編集] 関連書籍
- 春成秀爾 『「明石原人」とは何であったか』 NHKブックス、1994年 ISBN 4140017155