早鞆 (給油艦)
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艦歴 | |
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発注 | 大正12年度艦艇補充計画 |
起工 | 1922年3月14日 |
進水 | 1922年11月12日 |
就役 | 1924年5月18日 |
その後 | 1946年海没処分 |
除籍 | 1947年5月3日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:14,050t 常備:15,400t |
全長 | 138.68m |
全幅 | 17.68m |
吃水 | 8.08m (公試平均) |
主缶 | 缶4基 |
主機 | 3段膨張式蒸気機関1基1軸 3,750hp |
燃料搭載量 | 石炭1,350t |
速力 | 12.0kt |
乗員 | 157名 |
兵装 | 50口径14cm単装砲2基 40口径7.6cm単装高角砲2基(戦時のみ搭載) |
その他 | 重油搭載量 8,000t |
早鞆(はやとも)は、大日本帝国海軍の特務艦で、隠戸型給油艦の2番艦。艦名は関門海峡の最も狭い「早鞆瀬戸」にちなんで名づけられた。
[編集] 艦歴
- 1924年(大正13年)5月18日 呉海軍工廠にて竣工
- 1933年(昭和8年) 日華事変に出動
- 1945年(昭和20年) 中破した状態でシンガポールにて終戦を迎え、イギリス海軍に接収される
- 1946年(昭和21年) 海没処分
- 1947年(昭和22年)5月3日 除籍