ノート:日本人
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/過去の議論1、2004年3月26日から2008年2月13日まで。
[編集] 「縄文人」「弥生人」の分子人類学的規定について
大変専門的に昨今の人類学的研究をまとめておられますが、「縄文人」「弥生人」の線引きについては「縄文・弥生」というのが時代概念であり、それゆえ仮説的な区切りにすぎず、まだ決定はできません。また崎谷満氏の研究を出典とされていますが、それはひとつの学説です。 「一万数千年前に、華北から朝鮮半島を経由してD2系統が入ってきた。これが縄文人である」また「残りのO2bは北上し、倭と呼ばれ、山東省、朝鮮半島を通って日本列島に達した。これが弥生人である」という記述はいずれも上記同一文献をのみ出典とした定義ないし断定であり、十分に客観的な記述とはいえません。すくなくとも、それぞれの記述の出典となる当該図書のページを表記し、あるいは引用をお願いします。それが行われなければ、どれほどデータを並べても、「独自研究」と大差変わらない記述といえます。 --西方 2008年5月30日 (金) 01:07 (UTC)
最初に、尾本宝来の研究をあげ、「埴原の」二重構造説は否定されたとされたほぼ断定的な記述をしながら、後半Y染色体説で日本人の重層起源説を容認し、さらに「縄文人」「弥生人」の両方から現在の「日本民族」が形成されたなど、論旨が統一されていない。二重構造説は否定されつつあるなどと言った、断定的記述は(埴原説の言及の当否にかかわらず)明らかに正しくない。--121.2.194.143 2008年6月9日 (月) 15:00 (UTC)
えーと、「埴原の」二重構造説を現在唱えている学者っているのでしょうか?Y染色体説は「埴原の」二重構造説ではありませんよ。しかし少しは仰っていることは理解もできるので、多少の表現の変化と出典復帰のみで止めておきました。--Suginamin 2008年6月9日 (月) 23:52 (UTC)
尾本と宝来の著書を確認したが、両者とも一般的な意味での二重構造説にはむしろ肯定的で、wikiの引用は著者の主張がゆがめられている感が強い。篠田についても調査する--121.2.194.143 2008年6月10日 (火) 10:27 (UTC)
篠田の著書によれば現代日本人のハプログループ頻度は韓国や中国東北部に非常に近く(北東アジア集団)、これは弥生人が朝鮮半島経由で渡来し広がったことを裏付けているとのこと。これでは、二重構造論そのものではないか。二重構造論否定の文脈で引用するのは虚偽に近いのではないか?--121.2.194.143 2008年6月10日 (火) 10:37 (UTC)
槙原の二重構造説と重層説を混同されてませんか?埴原の二重構造説とは「南方系の縄文人がおり、あとから北方系の弥生人が日本に住み、南方系縄文人は北と南に分断され、日本列島の北と南には南方系縄文人のアイヌと琉球人が残った」というものですよ?これは現在完全に否定されています。二重構造説の拡大解釈で勘違いされてませんか?埴原の二重構造説は完全に否定されています。まずは槙原の二重構造説とは何か?をしっかり定義した文章を書き、展開するべきではないでしょうか?執筆者が二重構造説を拡大解釈し、埴原の説が肯定されているかのような書き方は問題アリと考えます(研究の流れとまったく違う表現となっている)。
否定の数々の一例
- 篠田も完全にそれは否定しています。縄文人が南方から来たというのは有り得ない こちらの篠田の動画で主張内容は良くわかるでしょう。
- 尾本恵市氏;著書『日本人の起源』(裳華房刊)「研究の結果、アイヌが-また次に述べるように琉球人も-東南アジアではなく東北アジアの集団群の含まれることを確信するようになりました。」 「私は現在では、原日本人の系統がたぶん上洞人を含む北東アジアの後期旧石器時代人に由来すると考えるようになりました。」「この考えは、ターナー説や埴原説とはあわず、この点で、私は、(埴原氏の)『二重構造説』の一つの仮説、すなわち原日本人の南方起源説には賛成しかねるのです。」
- 根井正利『現代人の起源に関するシンポジウム』アイヌ、沖縄人、東京人たちは、南アジア(南中国、台湾原住民、タイ人、フィリピン人)とまったく異なっている。台湾原住民でさえ、アイヌや沖縄人と密接に関係しているようにはみえない。このようなことは日本人の起源についての、(埴原和郎氏の)二重構造説の妥当性についての疑問を提起する。二重構造説によれば、アイヌと沖縄人はとは、南アジア人の直接の子孫であると想定されている。したがって、アイヌと沖縄人は、南アジアの集団と遺伝的に近いと期待されている。「遺伝学にもとづく樹状図(枝わかれ図)は、日本人の起源について、二重構造説と矛盾する。 遺伝学にもとづく樹状図は、日本人の三つの集団(アイヌ、本州人、沖縄人)のすべては、北アジアに起源を持つことを示す。
また、篠田の出典を書き換えられてますが、そこも篠田の主張と微妙に違う書かれ方がされているので修正させていただきます。朝鮮半島から来たというより、大陸から来たという表現があっています。縄文人も北方を中心に大陸からブリアートや日本にたどり着いているという論旨なのですから。--Suginamin 2008年6月10日 (火) 23:02 (UTC)
[編集] 正反対の虚偽の記述がなされていた点について
これまで、二重構造論は学界では否定されたなどと断定的に記述され、その文脈において、尾本、宝来、篠田の著書がそれを証拠づけるものとして記述されていたが、明らかに原著書の意図をゆがめるものであるのみならず、篠田(2007)の著書には以下のように正反対の記述があるので紹介する。「そして現在では埴原和郎によって提唱された、旧石器時代につながる東南アジア系の縄文人が居住していた日本列島に、東北アジア系の弥生人が流入して徐々に混血して現在に至っているという二重構造論が主流の学説となっています」「在来の集団に大陸から渡来した集団が混血して日本人が成立するという二重構造論の枠組みは、明治以来、多くの研究者によって唱えられてきましたし、埴原が唱える直前にも、人類遺伝学の尾本恵市や、形質人類学の池田次郎、山口敏といった研究者によって提唱されていたのです」「現在ではおおむね考古学者も二重構造論を認めています」「人類学者は比較的多くの移民を仮定します。現在の私たちの持つ形質が、縄文人よりも渡来系弥生人に圧倒的に近いからです」 全く正反対じゃないですか。正直、誰によって、どうしてこんな破廉恥な編集が行われたのか理解できません。--121.2.194.112 2008年6月10日 (火) 13:30 (UTC)
一部だけ切り取っても仕方がありません。流れを説明しているだけであり、篠田は埴原の二重構造説は完全に否定しております。これを観ていただければ彼の主張は一目瞭然でしょう。尾本も上記で示したように埴原の説は否定しています。宝来の出典は根本の論が載っているので出しているだけです。宝来自身は確かに槙原の説に近い論者ではありますね。--Suginamin 2008年6月10日 (火) 23:02 (UTC)
Suginaminさんさあ、大和民族の項目でも同じような編纂してるだろう。あんたの意図は明白。二重構造説を故意に「埴原氏の」二重構造説に限定しそれが批判されていることを以て、二重構造説がすべて間違いであるかのような印象を与えようとしてるんだろう。悪いけど、二重構造説という言葉を、埴原限定で使うのは虚偽だし、事実の篠田の文章でも「在来の集団に大陸から渡来した集団が混血して日本人が成立するという」意味に使っているし、そういう意味であれば、最近の人類学、考古学では広く肯定されており、二重構造説自体はむしろ「おおむね認められている」といいきっていいくらいである。それに引き替えあんたの推奨するバイカル起源説はむしろ異説の一つでしかない。よこしまな意図に基づく編集はやめてくれないか?--121.2.192.215 2008年6月11日 (水) 00:14 (UTC)
意味不明な陰謀論はお止め下さい。世の中に出ている主張・論は正確に載せれば良いだけです。反証があるならば、それも記載すればよいだけです。埴原の二重構造説を未だに述べている者がいるならば出典を出してください。あなたの感情・妄想で除去する行為はお止め下さい。篠田も埴原の説は否定しており、その出典は動画まで提出しております。あなたの独自論は必要ありません。--Suginamin 2008年6月11日 (水) 00:29 (UTC)