帖佐駅
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帖佐駅 | |
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駅舎の一部 (2005/12/19) |
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ちょうさ - Chosa | |
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所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
所属路線 | 日豊本線 |
キロ程 | 445.5km(小倉起点) |
所在地 | 鹿児島県姶良郡姶良町東餅田2575番地 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
開業年月日 | 1926年(大正15年)4月1日 |
備考 | 業務委託駅 |
帖佐駅(ちょうさえき)は、鹿児島県姶良郡姶良町東餅田2575番地に所在する九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅。
姶良町の中心は姶良駅ではなく帖佐駅である。一部特急の停車駅。
目次 |
[編集] 駅構造
駅本屋に接して単式ホーム1面1線。その奥に島式ホーム1面2線と合せ2面3線の構造を有する地上駅であり2本のホーム間は跨線橋で連絡している。
駅本屋は木造モルタル造。
[編集] 駅周辺
姶良町の中心にあり役場・銀行・スーパーマーケットなど主要な施設は一通り揃う。駅前には蒸気機関車の動輪が設置されている。
[編集] 歴史
帖佐駅を含む区間が開通したのは1901年(明治34年)のことであったが、当初はこの位置に駅は設置されず、重富駅の次は加治木駅であった。蒸気機関車による鉄道では加減速が鈍いため、駅間距離が短いと十分な速度を出すことができず、所要時間短縮の妨げとされたことが一因である。重富 - 加治木間は7.1kmで、国鉄の蒸気機関車時代の平均的な駅設置間隔5kmから7km程度にほぼ沿っている。当時の帖佐村、山田村(後に重富村を含めて合併し現在の姶良町)、蒲生村(現在の蒲生町)が協同で停車場設置の請願書を門司鉄道局に提出してようやく着工の運びとなり、1926年2月に完成し4月1日から運用を開始した。開業当日の乗客は522人、運賃収入は122円8銭と記録されている[1]。
[編集] 年表
- 1926年(大正15年)4月1日 - 鉄道省が開設
- 1950年(昭和25年) - 150万円をかけて駅舎改築[1]
- 1979年(昭和54年)9月25日 - 南宮崎 - 鹿児島駅間電化
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承
- 1993年(平成5年)3月 - 駅の下を通り駅南側の地域への地下道が開通
[編集] その他
かつてJR九州バス(加治木線:加治木駅・帖佐駅 - 蒲生町 - 入来町)が運行されていた。現在は廃止され、代わって南国交通のバスが運行されている。
[編集] 隣の駅
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
日豊本線(宮崎 - 鹿児島) |
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