市村羽左衛門 (16代目)
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十六代目市村羽左衛門(じゅうろくだいめ いちむら うざえもん、1904年(明治37年)1月15日 - 1952年(昭和27年)10月2日)は、歌舞伎役者。本名、市村勇。俳名は可江、屋号は橘屋。
名優十五代目市村羽左衛門の子、1910年(明治43年)4月東京歌舞伎座が初舞台。四代目市村竹松と名乗り「鞍馬山祈誓掛額」で牛若丸を演じる。五代目中村福助、片岡千代之助(のち十三代目片岡仁左衛門)らとともに若手のホープとして将来を嘱望された。1925年(大正14年)七代目市村家橘を襲名。1947年(昭和22年)2月十六代目市村羽左衛門を襲名。
大らかな芸風で若衆、殿様役や奥方役などを得意とした。戦後間もなく上演された現代物「銀座復興」での演技が酷評され、新作に向かないと目されていたが、羽左衛門襲名後は芸の力が伸び、1951年(昭和26年)6月、新橋演舞場初演の加藤道夫作「なよたけ抄」での小野連、翌1952年(昭和27年)7月東京歌舞伎座初演の北条秀司作「狐と笛吹き」での秀人役など王朝物に本領を発揮、これからという矢先に倒れた。舞踊もよくし、「紅葉狩」の山神、死の直前に絶賛を博した「吉野山」の静御前(七代目坂東三津五郎の忠信)「落人」の勘平などが印象に残る。
弟が二代目市村吉五郎。