市川白弦
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市川 白弦(いちかわ はくげん、1902年(明治35年)2月28日 - 1986年(昭和61年)6月7日)は、日本の僧侶、社会運動家、花園大学名誉教授。
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[編集] 略歴
- 1902年 - 岐阜県加茂郡八百津町和知の臨済宗妙心寺派華藏寺に生まれる。幼名は利水。
- 1920年 - 地元の小学校勤務を経て得度し、妙心寺専門道場に入学。
- 1923年 - 臨済宗大学入学。在学中より部落問題や教団改革運動に関わる。
- 1926年 - 花園中学校に勤務。独学で英語、ドイツ語、西洋哲学を学ぶ。
- 1935年 - 臨済学院専門学校教授。
- 1946年 - 終戦後、結成したばかりの日本アナキスト連盟に加入。この頃より教団の戦争責任追及や教団批判を展開する。
- 1952年 - 京都市教育委員に就任。
- 1965年 - 小田実、開高健ら呼びかけでベ平連に参加。
- 1972年 - 花園大学停年退職、同大学名誉教授。教団内の批判や自身の社会的活動へのけじめとして僧籍を離れ還俗する。
- 1986年 - 6月、急性肺炎により死去、享年84歳。
[編集] 主な著書
- 『大慧(禅叢書第4巻)』(弘文堂、1941年)
- 『禅の基本的性格』(同文館、1942年)
- 『禅と現代思想』(徳間書店、1967年)
- 『仏教者の戦争責任』(春秋社、1970年)
- 『日本ファシズム下の宗教』(エヌエス出版、1975年)
- 『市川白弦著作集1-4』(法藏館、1993年)
[編集] 訳書
- ツェルバツキー原著『仏教哲学概論』(第一書房、1935年) - 自身初の学術書。この出版を機に大学に迎えられる。