嵯峨根遼吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嵯峨根 遼吉(さがね りょうきち、1905年11月27日 - 1969年4月16日)は、東京都出身の物理学者。長岡半太郎の五男として生まれ、嵯峨根家の養子となった。父・半太郎は箕作麟祥の娘婿だが、母は半太郎の後妻・登代なので箕作家の血は流れていない(半太郎の先妻が麟祥の三女・操子)。元日本光学社長・長岡正男の異母弟にあたり、共に東京府立一中の同窓。専門は実験物理学。
[編集] 略歴
- 1929年:東京帝国大学理学部物理学科を卒業。
- 1935年:英国、米国に留学。
- 1938年:帰国。理化学研究所研究員となり、仁科芳雄の下で原子核物理学の研究に従事。小型サイクロトロンを運用。大型サイクロトロンを建設。
- 1943年:東大教授に就任。
- 1949年:渡米。アイオワ大学。カリフォルニア大学。
- 1950年12月11日:父・長岡半太郎死去。
- 1955年:東大教授を辞職。
- 1956年:帰国。その後日本原子力研究所理事、副理事長、日本原子力発電取締役、副社長、産業計画会議委員(議長・松永安左ヱ門)を歴任。