山本喧一
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山本 喧一(やまもと けんいち、1976年7月11日 - )は、日本の男性総合格闘家・プロレスラー。本名:山本 健一(やまもと けんいち)。大阪府出身。通称ヤマケン。身長182cm、体重87kg。
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[編集] 来歴
山本の幼少時代は極めて不遇で、本人が語るところによると、両親が離婚し、預け先での執拗な虐待を受けた。虐待の傷跡は、山本の体に今もなお残っているという。
小学校時代は喧嘩に明け暮れ、手の付けられなかった山本であるが、中学時代に前田日明の自伝『パワー・オブ・ドリーム』を読んだことから空手を始める。プロレスラーになる前は、正道会館の内弟子を務めていたこともある。
その後入門したUWFインターナショナルでは高山善廣、安生洋二と「ゴールデン・カップス」を組み活躍。Uインター解散後は後継団体のキングダムを経て、1998年にリングスに移籍(3月28日の興行から出場、7月5日付けで正式所属)。当時のリングスのエース田村潔司にガチンコマッチを要求し、物議をかもした事もあった。その後検査で頭に腫瘍(良性)が発見され、安全面での問題が出てきた事が理由でリングスを退団する事になる。
格闘技ジム「パワー・オブ・ドリーム」を設立し、ジム経営と並行して、天下一武道会さながらの台上で戦い、素手でのパンチを認めた総合格闘技トーナメント「タイタン・ファイト」、クラブでDJプレイやライブとともに総合格闘技の試合をし、山本自身が賞金首となってプロ・アマ問わず挑戦を受けるコンセプトの「クラブ・ファイト」を主催するが、スポンサーが離れたことで活動停止状態になる。さらに追い打ちをかけるようにジムが閉鎖。
しかし山本は格闘技から引退する事は考えておらず、現在も格闘家としての活動を続け、PRIDEなどに参戦している。
2006年6月3日、アメリカの大会「MFC」に出場。カリーム・エリングトンと対戦し、KO負けを喫した。
[編集] 戦績
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | カリエム・エリングトン | 1R 4:51 TKO(パウンド) | MFC 7 - USA vs. Russia 3 | 2006年6月3日 |
○ | ゲルマン・レイエス | 2R KO(左ハイキック) | 琉球 Kamikaze Spirits【総合格闘技ルール】 | 2005年11月13日 |
× | 美濃輪育久 | 1R 3:23 KO(パウンド) | PRIDE 武士道 -其の四- | 2004年7月19日 |
× | アレクサンダー大塚 | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE.25 | 2003年3月16日 |
× | ケビン・ランデルマン | 3R 1:16 TKO(グラウンドでの膝蹴り) | PRIDE.23 | 2002年11月24日 |
× | 須藤元気 | 2R 2:46 チョークスリーパー | リングス WORLD TITLE SERIES | 2001年12月21日 |
△ | 保村晃 | 10分終了 ドロー | Club Fight NAGOYA | 2001年3月4日 |
△ | 秋山賢治 | 10分終了 ドロー | Club Fight OSAKA | 2001年1月27日 |
× | パット・ミレティッチ | 2R 1:58 フロントチョーク | UFC 29: Defense of the Belts 【UFC世界ライト級タイトルマッチ】 |
2000年12月16日 |
○ | 倉橋達也 | 8:00 KO(マウントパンチ) | Club Fight Round 1 | 2000年11月12日 |
○ | 藤井克久 | 2R 4:13 膝十字固め | UFC 23: Ultimate Japan 2 【UFC-Jミドル級トーナメント 決勝】 |
1999年11月19日 |
○ | 高瀬大樹 | 5分2R終了 判定3-0 | UFC 23: Ultimate Japan 2 【UFC-Jミドル級トーナメント 1回戦】 |
1999年11月19日 |
× | ウィリー・ピータース | 1R 13:45 TKO(膝蹴り) | リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998 〜第1回国別対抗戦FNRカップ〜 GRAND-FINAL |
1999年1月23日 |
× | 田村潔司 | 1R 11:26 TKO(右ハイキック) | リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998 〜第1回国別対抗戦FNRカップ〜 SEMI-FINAL |
1998年12月23日 |
× | リー・ハスデル | 10:56 KO | リングス FIGHTING INTEGRATION 6th | 1998年9月21日 |
× | 坂田亘 | 20分終了 ポイント | リングス FIGHTING INTEGRATION 5th | 1998年8月28日 |
× | ヴォルク・ハン | 8:24 逆片エビ固め | リングス CAPTURED 〜AKIRA MAEDA LAST MATCH〜 | 1998年7月20日 |
× | 成瀬昌由 | 11:07 アームロック | リングス FIGHTING INTEGRATION 4th 【トーナメント21 タイトルマッチ】 |
1998年6月27日 |
× | 高阪剛 | 9:15 膝十字固め | リングス Battle Genesis Vol.4 | 1998年6月20日 |
× | クリストファー・ヘイズマン | 5:35 腕ひしぎ十字固め | リングス・オーストラリア「Who Needs Rules Fight Night」 | 1998年6月7日 |
○ | クリストファー・ヘイズマン | 12:39 裸絞め | リングス FIGHTING INTEGRATION 3rd 【トーナメント21 次期挑戦者決定戦】 |
1998年5月29日 |
× | ヴァレンタイン・オーフレイム | 6:39 TKO(タオル投入) | リングス FIGHTING INTEGRATION 1st | 1998年3月28日 |
[編集] TIPS
- 2001年12月に、須藤元気とリングスのリングで試合を行ったことがある。山本の通常体重は85kgであるが、この試合のために苦しみながらも75kgにまで減量してきた。さらにこの試合では山本が保持していた「UFC-JAPAN」(UFCの認定タイトルではなく、現在活動停止中のUFC-JAPANが制定したベルト)のベルトが賭けられた。試合は裸絞めで山本が敗北し、ベルトは須藤に奪われた。
- また、「ZST」、「HERO'S」で活躍する所英男は「パワー・オブ・ドリーム」時代の弟子に当たる。ジムを閉鎖した事によりその関係は途絶えてしまったが、所は「今でも山本さんを尊敬しているし感謝している」と述べている。
[編集] 人物
- 総合格闘家であるが立ち技にも適応でき、ムエタイの試合に出場し勝利を収めるほどである(現在、WPMFヘビー級4位)。総合格闘技での試合においても、ムエタイ・キックボクシング用のトランクスを着用し、ムエタイ式の構え方をするなど、他のファイターには無い個性的な一面を持つ。
- 話が長いことで有名(桜庭和志が自著『ぼく。』の中で証言している)。