小倉裏線
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小倉裏線(こくらうらせん)は、かつて福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)の富野信号所(現・東小倉駅付近)と南篠崎信号所、足立駅と板櫃信号所の間を結んでいた鉄道路線である。小倉南線とも呼ばれている。
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[編集] 路線データ
[編集] 歴史
九州鉄道本線(現・鹿児島本線)の一部として開業した。九州鉄道は当初本線を戸畑経由とする予定であったが、海岸部に鉄道路線を敷設することについては、陸軍が艦砲射撃による線路破壊を危惧して反対したため、小倉市街地の南側に路線変更するよう求められていた。そのため、海岸部の路線を戸畑線(小倉~戸畑~黒崎間)という支線として敷設を認めることを条件に、陸軍の要求に沿って小倉裏線が敷設されることとなった。
- 1903年(明治36年)- 高浜信号所(旧東小倉付近)~南篠崎信号所・北篠崎信号所(南小倉付近)間が開通。
- 1904年(明治37年)2月12日 - 後の大蔵線に接続し全線開通。
- 7月14日 高浜信号所を富野信号所に改称。
- 1907年(明治40年)7月1日 - 国有化される。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により小倉裏線となる。区間が書かれる箇所に平時運転休止と書かれた。
- 11月18日 - 平日運転休止に変更。
- 1911年(明治44年)10月1日 - 大蔵線廃止に伴い、北篠崎信号所~板櫃信号所廃止。
- 1916年(大正5年)6月21日 - 全線廃止。
[編集] 駅一覧
富野信号所 - 足立駅 - 南篠崎信号所
足立駅 - 柴川信号所 - 北篠崎信号所 - 板櫃信号所
- 当時は信号場を信号所と呼称。
- 柴川信号所~北篠崎信号所間0.7kmは豊州本線(現・日豊本線)と共用。
- 北篠崎信号所は現在の南小倉駅付近に所在。
[編集] 足立駅
1904年(明治37年)、日露戦争が始まった2日後の2月12日、陸軍師団輸送の拠点駅として開業した足立駅は、大量の兵士を輸送するため全国屈指の規模を持つ巨大駅であった。
ところが、戦争に関わる輸送が一段落した同年2月19日、足立駅では兵士を取り扱わないようになってしまった。足立駅の兵員輸送という大義名分が無くなった小倉裏線は存在意義を失い、開業からたった12年で全線廃止された。
[編集] 接続路線
路線名は小倉裏線廃止時点のもの。
[編集] 廃止後の状況
国土地理院に保管されている旧版地図によれば、廃止後、昭和初期までは大蔵線と共に道路になっているが、富野側から小倉の市街地に飲み込まれてしまい、富野~足立~紫川・南篠崎の大半は消失した。