寺門静軒
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寺門 静軒(てらかど せいけん、寛政8年(1796年) - 慶応4年3月24日(1868年4月16日))は、幕末の儒学者。諱は良。字は子温。通称は弥五左衛門。克己・蓮湖という号もある。
水戸藩御家人の子として生まれる。13歳で父が死ぬが、後を継いで仕官する事が許されなかったために、折衷学派山本緑陰の門人となった。駒込で塾を開いていたが、天保2年(1831年)より、江戸の風俗を記した『江戸繁盛記』を執筆する。途中、林述斎の讒言によって江戸幕府によって出版差し止めになったにも関わらず、天保13年(1843年)に第5篇まで書いたことが咎められて、「武士奉公御構」(奉公禁止)となる。
以後、自らを「無用之人」と称して越後国や北関東を放浪する。やがて武蔵国妻沼(現在の埼玉県熊谷市)に私塾を開いて晩年を過ごした。