婉子女王
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婉子女王(つやこ/えんしじょおう、天禄3年(972年) - 長徳4年9月17日(998年10月10日))は、平安時代中期の皇族。村上天皇の皇孫。一品式部卿宮為平親王の長女。母は左大臣源高明女。兄弟姉妹に源憲定・源為定・源頼定・源顕定・具平親王室・恭子女王(斎宮)らがいた。花山天皇の女御となって堀河女御と称したが、その後藤原実資の妻となった。
寛和元年(985年)12月5日、14歳で4歳年上の花山天皇に入内。同年12月25日女御宣下を受けたが、彼女は花山天皇の寵愛を受けなかった。翌年の寛和2年(986年)6月に花山天皇が退位・出家した後は父親王の邸宅に戻ったらしいが、その後は藤原実資の妻となり、長徳4年(998年)9月17日、27歳で薨去した。花山天皇及び実資との間に子供はなかった。美貌で名高かったといわれている。
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
- 藤原道信:婉子女王を巡って実資と争った。