大人は判ってくれない
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大人は判ってくれない Les Quatre Cents Coups |
|
監督 | フランソワ・トリュフォー |
---|---|
製作 | フランソワ・トリュフォー |
脚本 | フランソワ・トリュフォー マルセル・ムーシー |
出演者 | ジャン=ピエール・レオ |
音楽 | ジャン・コンスタンタン |
撮影 | アンリ・ドカエ |
編集 | マリー=ジョセフ・ヨヨット |
公開 | 1959年6月3日 |
上映時間 | 99分 |
製作国 | フランス |
言語 | フランス語 |
次作 | アントワーヌとコレット |
allcinema | |
Variety Japan | |
IMDb | |
『大人は判ってくれない』(おとなはわかってくれない、原題:LES QUATRE CENTS COUPS、直訳すると『400回の殴打』)は、フランソワ・トリュフォー監督の最初の長編映画。
『ある訪問者』、『あこがれ』などの短編映画を手がけた後、1959年に発表したトリュフォー自身の幼少時代の自伝とも言うべき作品。 全編モノクロ。 狭い家の中と、ポスターを盗むシーン、ラストシーンの最後のカットが印象的な作品である。
これを見たジャン・コクトーは「わがフランソワ君、君の映画は傑作である。奇跡のようなものだ。親愛のキスを送る」という賛辞を彼に送った。
同年、当時の文化大臣 アンドレ・マルローの推薦を受けてカンヌ国際映画祭に出品し、監督賞を受賞。一躍「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手として知られるようになる。
そしてこの作品の成功に続き、いわゆる「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズを次々と発表する。
[編集] あらすじ
12歳のアントワーヌ ドワネルにとって、毎日は苦痛の連続であった。学校では成績も悪く、いたずら好きで先生に叱責される。家では厳しい母親と、稼ぎも少なくうだつの上がらない父親に囲まれた息の詰まる生活。寝袋にくるまって両親のケンカを聞かされる日々。
そんな彼の楽しみは映画を観ることだけだ。しかしある日、授業の作文で「バルザックの盗作だ」と叱られ、学校を停学になる。居場所がなくなった彼は、家を飛び出してしまう……。
[編集] キャスト
- アントワーヌ・ドワネル:ジャン=ピエール・レオ
- ルネ・ビジェー(親友):パトリック・オーフェー
- ジュリアン(父):アルベール・レミー
- ジルベルト(母):クレールモーリエ
[編集] 解説
- 散歩中の生徒たちが列から抜けて逃げ出すシーンはジャン・ヴィゴ監督の『新学期・操行ゼロ』のパロディー。
- アントワーヌが両親と一緒に見に行った映画はジャック・リヴェット監督の『パリはわれらのもの』であるが、当時はまだ完成されていなかった。
- 逃げた子犬を追いかける女性はジャンヌ・モロー。「よせ、子供は」と言って彼女の後を追っていく男性はジャン=クロード・ブリアリ。「お迎えの馬車が来たぞ」と叫ぶ(ジャン・ルノワール監督の『黄金の馬車』を意識している)警官はジャック・ドゥミ監督。ヌーヴェルヴァーグ仲間のカメオ出演である。また、遊園地のローターのシーンではトリュフォーの姿が見える。
- アントワーヌが盗む映画館のポスターはイングマール・ベルイマン監督の『不良少女モニカ』。
- 精神科の女医がアントワーヌに質問するシーンは、トリュフォー自らがジャン=ピエール・レオにインタビューしたものに脚本家のアネット・ヴァドマンの声を吹き替えたもの。ヴァドマンの美声に惚れ込んだトリュフォーは以前から出演を打診していたのだが、当時彼女が妊娠中だったので声だけの出演という運びとなった。なお、トリュフォーの声はたいへんな早口で知られていた。