大乗院
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大乗院(だいじょういん)は興福寺にあった塔頭の一つ。寛治元年(1087年)、隆禅(藤原政兼の子)が創建する。その後、関白藤原師実の子・尋範が継承したことから摂関家特に九条家系の勢力が強かった。第4代院主・信円(藤原忠通の子)の頃に門跡寺院とされ、中世には一乗院と並ぶ有力な塔頭で、門主は摂関家や将軍家の子弟から迎えていた。その間、治承4年(1180年)の平家による南都攻撃、宝徳3年(1451年)の土一揆によって焼失したが、室町時代には経覚・尋尊という2人の実力のある院主が相次いで登場して奈良一帯の座を次々と支配下に収めて大いに栄えた。だが、戦国時代に入ると次々と所領を失って江戸時代にはわずか950石にまで縮小した。
更に明治2年(1869年)の廃仏毀釈により最後の院主・隆芳(九条尚忠の子)は還俗して消滅、なお還俗後に「松園尚嘉」と名乗った隆芳は華族令によって子爵を授けられている。
跡地は奈良ホテルとなり、一部の庭園は財団法人日本ナショナルトラストにより復元されて見学可能となっている。旧大乗院庭園は国の名勝にも指定されている。