国道34号
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一般国道 | |
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国道34号 | |
総距離 | 136.9 km |
制定年 | 1952年 |
起点 | 鳥栖市 永吉交差点 |
主な 経由都市 |
佐賀市 武雄市 大村市 諫早市 |
終点 | 長崎市 県庁前交差点 |
接続する 主な道路 (記法) |
国道3号 長崎自動車道 国道385号 国道263号 国道264号 国道208号 国道203号 国道207号 国道498号 国道35号 国道497号 国道205号 国道444号 国道57号 国道251号 国道202号 国道324号 |
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国道34号(こくどう34ごう)は、佐賀県鳥栖市から長崎県長崎市へ至る一般国道である。昔の長崎街道(彼杵通)を辿る。
全線のうち1割程度の路線は4車線以上の道路であるが、そのほかは全線2車線である。長崎市から諫早・大村、県外を結ぶ幹線道路であるため、武雄市 - 東彼杵町の区間を除き、交通量は多い。 長崎市内では、交通処理能力を上回る交通量であり、朝・夕の通勤時間帯では慢性的な渋滞に悩まされている。また、佐賀県内でも特に交通量の多い鳥栖市 - 佐賀市にかけての区間も片側1車線であるが、乗用車や貨物自動車の通行量が非常に多く、毎日のように渋滞ないし混雑の状態が続いており、それに伴うノロノロ運転やストップ・アンド・ゴーの繰り返しが日常茶飯事である。長崎市では渋滞緩和を目的として、日見バイパスの全線4車線化、市布交差点の立体交差点化などを進めている。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 歴史
今日では本州方面より鹿児島へ向う道が国道3号、国道3号の鳥栖より分岐して長崎へ向う道が国道34号となっているが、かつては本州と長崎とを結ぶ道が長崎街道と呼ばれ、鹿児島へ向う道は長崎街道から鳥栖附近で分岐する薩摩街道であった。
1885年(明治18年)の内務省告示第6号「國道表」でもそれを踏襲し、長崎街道が国道4号「東京より長崎港に達する路線」(現1号、2号、3号、200号、3号、34号経由)、薩摩街道が国道11号「東京より熊本鎮台に達する路線」・国道37号「東京より鹿児島県に達する路線」(現3号経由)となった。
1920年(大正9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、鹿児島へ向う道の方が上位路線の国道2号「東京市より鹿児島県庁所在地に達する路線(甲)」となり、長崎へ向う道は国道2号から鳥栖で分岐する国道25号「東京市より長崎県庁所在地に達する路線」となった。これは、国道の指定の順番が、明治国道では開港場へ至る道が1番目になっていたのに対し、大正国道では各府県庁へ至る道の方が先になっているためである。そのため、長崎県庁へ至る道よりも長い鹿児島県庁に至る道の方が上位路線となった。
1952年(昭和27年)12月4日、新道路法に基づく路線指定で、旧25号は一級国道34号(佐賀県三養基郡基里村(現 鳥栖市) - 長崎県長崎市)として指定された。1965年4月1日、道路法改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道34号となった。
2006年(平成18年)6月5日、長崎県内の渋滞の名所となっていた市布交差点立体化事業が暫定供用され、東長崎→諫早、諫早→長崎バイパスの移動の際の信号待ちがなくなり、渋滞が緩和された。[1]
2007年(平成19年)6月16日、小船越交差点改良事業にて新小船越トンネルが供用開始され、大村 - 島原の通行車両がいったんUターンを強いられる不便が解消された。[2]
[編集] 重複区間
- 佐賀県小城市(前満江交点) - 佐賀県杵島郡江北町(東分交点):国道207号
- 長崎県諫早市小船越町(小船越トンネル交点) - 長崎県諫早市多良見町化屋:国道207号
- 長崎県諫早市(小船越トンネル交点) - 長崎県長崎市(県庁前交点):国道57号
- 長崎県長崎市矢上町(矢上町交点) - 長崎県長崎市江戸町(県庁前交点):国道251号
- 長崎県長崎市大橋町(岩屋橋交点) - 長崎県長崎市江戸町(県庁前交点):国道206号
- 長崎県長崎市宝町(宝町交点) - 長崎県長崎市江戸町(県庁前交点):国道202号
[編集] 通過市町村
[編集] 接続路線
- 佐賀県
- 長崎県
[編集] バイパス
[編集] 別名
- 仙塩街道
- 長崎街道
- 彼杵通り(長崎県)
- コスモスロード(佐賀県)
- 北部バイパス(通称「北バイ」)(佐賀市)
[編集] 主な峠
- 平原峠(標高40m):佐賀県武雄市
- 俵坂峠(標高190m):佐賀県嬉野市 - 長崎県東彼杵町
- 鈴田峠(標高79m):長崎県大村市 - 長崎県諫早市
- 日見峠(標高150m):長崎県長崎市