分子生物学
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分子生物学(ぶんしせいぶつがく、Molecular biology)は、現在に於いては生物学の主軸となる分野。本来、生命現象を分子レベルで理解して、それらがいかに制御されているかを研究することが、分子生物学の主な関心であったが、現在ではDNA分子だけでは無く、蛋白質や細胞、さらには個体レベルに於いても、遺伝子クローニングや遺伝子導入など方法論を駆使しながら生命の本質に迫る為に必要不可欠となっている。研究領域は従来の遺伝学や生化学から派生し、脳、再生、免疫、癌などに広く展開している。
当初は、タンパク質の分子構造を明らかにしその機能との関係を研究する領域も分子生物学と呼ばれたが、現在ではこれは構造生物学と呼ばれ分子生物学と相補的な関係にある。
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[編集] 研究対象
分子生物学はワトソンとクリックによるDNA二重螺旋モデルの提唱によって始まった。さらに、ポーリングらによる蛋白質の二次構造となるαヘリックスの発見によりその流れは加速した。これは従来の生化学的な化学反応論を超えて分子というキーワードで生命現象を説明できるようになったことに起因する。生命を分子レベルで考えることにより従来の難解な化学反応論にとらわれることなく直感で生命現象を捉えることができるようになり、複雑な数式や化学反応式にとらわれることなく、視覚的に現象を理解できることが、分子生物学への敷居を低くし、多くの若い研究者の分子生物学への参入につながり、分子生物学が爆発的に発展した。
確立された1950年代当初は、その研究対象が殆どバクテリアとファージに限られていたため、もっぱらバクテリアの遺伝子とそこからの情報の流れであるセントラルドグマを中心とする研究のことを分子生物学と呼んでいた。だが、2000年代の現代においては、遺伝子の転写や翻訳、DNAの複製や修復、細胞周期、細胞内シグナル伝達などの細胞レベルの研究から、細胞間接着、発生、神経の機能、遺伝病の原因解明等、生命を研究対象とする殆ど全ての生物学は分子生物学の対象となっている。
[編集] 歴史
[編集] 創成期
分子生物学という名称は1938年ウィーバー(Warren Weaver)により提唱された。これは当時、量子力学の確立やX線回折の利用等により物質の分子構造が明らかになりつつあったことから、まだ謎に満ちていた生命現象(中でも遺伝現象)をも物質の言葉で記述したいという希望の表明であった。当時、遺伝の染色体説はすでに確立し、遺伝学はショウジョウバエなどを用いて目覚ましく進歩していたが、生体高分子として知られていたタンパク質と核酸のいずれが遺伝を担っているのかも、遺伝子が具体的に何を決めるのかも不明だった。また生物と思われていたウイルスが結晶化することが明らかになり、生物と無生物の境界はゆらぎつつあった。ドイツを中心とする当時の物理学者たち(アメリカに亡命した人も多い)もこの問題に深い関心をもち、特にマックス・デルブリュックは物理学から遺伝学に転向した。また物理学者から見た生命観を述べたシュレーディンガーの名著「生命とは何か」(1944年)も大きな影響を与えた。
デルブリュックは研究対象をショウジョウバエからバクテリオファージ(細菌に寄生するウイルス)に転換して「ファージグループ」と呼ばれる学派を主宰し、これが分子生物学の創成に大きく寄与した。1940年、ジョージ・ビードルとエドワード・テータム(やはりショウジョウバエからの転向組である)はアカパンカビを用いて、遺伝子とタンパク質の間に一対一の関係があることを示した(一遺伝子一酵素説)。このように単純なモデル生物から始める方法は分子生物学で標準的な研究法となる。1943年、オズワルド・エイヴリーらは肺炎球菌のR型菌にS型の死菌を与えるだけでS型菌に転換できることを示し(形質転換)、これがデオキシリボ核酸(DNA)によることを発見した。また戦後にかけて、ファージに関しても同様にDNAが遺伝物質であることが示された。
そして戦後、イギリスとアメリカのグループがこのDNA分子の構造を明らかにしようと競争した末、1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重らせん構造を発見した。これは相補性により(後に証明された半保存的複製を通じて)遺伝をも説明する画期的発見であり、これにより分子生物学が本格的に始まった。
[編集] 分子遺伝学の発展
1960年代になるとDNAとタンパク質の情報を仲介する伝令RNA(mRNA)が発見され、さらにDNA情報とタンパク質構造との関係すなわち遺伝暗号が明らかにされた。一方ジャック・モノーとフランソワ・ジャコブは細菌による研究から、調節タンパク質がDNA上の遺伝子に結合しmRNAの転写を調節することを明らかにした(オペロン説)。後に高等生物でもこれに似た転写因子が遺伝子発現調節で主要な働きをしていることが明らかになった。このように遺伝情報はDNA→mRNA→タンパク質というふうに一方向に伝達されることが確定し、この図式はセントラルドグマ(分子生物学の中心教義)と呼ばれるようになった。ただし1970年には逆にRNA→DNAの流れ(逆転写)、つまりセントラルドグマの例外もあることが発見された。こうして遺伝現象の基本的な部分は分子の言葉で記述されるようになった。
[編集] 新技術と新分野の開花
1970年代には高等生物も分子生物学の対象となる。この背景には目覚しい技術的進歩があった。
1970年代半ばまでに各種のDNA修飾酵素が単離され、人工的な遺伝子組換えが可能となった。しかしこれによるバイオハザードの恐れが指摘され、アシロマ会議での議論の結果、科学者は厳格な自主規制のもとで研究を進めることとなった(現在はカルタヘナ議定書により法的規制もある)。遺伝子組換え技術は分子生物学をさらに発展させ、またバイオテクノロジーの重要な柱ともなった。この分野での他の画期的な技術には、70年代後半から発展したDNAシークエンシング(遺伝子配列が容易に「読める」ようになった)と、80年代に開発されたポリメラーゼ連鎖反応(PCR)がある。
1970年代から80年代にかけて、がんの研究を直接の目的として動物の遺伝子研究が推進され、多数のがん遺伝子が発見されるとともに、細胞内シグナル伝達経路が明らかにされていった。これとも関連して、形態形成などの研究が進んでいたショウジョウバエも再び脚光を浴び、遺伝子レベルでは高等動物との共通点が多いことがわかってきた。
こうした流れの中で20世紀末になると、生物のゲノムの配列をすべて調べれば今までにない情報が得られるであろうと期待され、各種生物のゲノムプロジェクトが着手された。ヒトについても1990年にゲノムプロジェクトが始まった。これは生物学史上初の巨大プロジェクトだったが、その間の技術の進歩にもより、2000年にはヒトのほぼ全ゲノムが解読された。現在では医学研究資源とするために個人のゲノム配列(分子生物学の功労者ワトソンおよびクレイグ・ヴェンターのもの)さえ解読され公開されている。
[編集] 現在
ゲノム配列が解読された後の研究段階はポストゲノムと呼ばれる。ここでは遺伝子を基本とする各種産物・現象(RNA、タンパク質、タンパク質間相互作用、代謝物等々)を網羅的に解析することが中心となり、これらはオーミクス(-Omics)と総称される。また現在、転写因子などに加えて、多種多様なncRNAも遺伝子発現に多大な影響を及ぼしていることが示され、注目を集めている。ヒトゲノムは典型的な遺伝子の形をなしていない部分がほとんどで、「ジャンクDNA」と呼ばれていたが、この部分からもRNAが転写されることが明らかになってきた。「ジャンクDNA」はいまや疑問符つきとなり、代わりに「RNA新大陸」なるキャッチフレーズが使われている。現在の分子遺伝学で最も注目されるテーマはエピジェネティクス(セントラルドグマに従わない遺伝的現象)で、これにもRNAの関与が示唆されている。
医学では個人に応じた医療(オーダーメイド医療)の開発が希望され、個人差に注目したゲノム・ポストゲノム研究がこれに役立つと期待されている。
[編集] バイオインフォマティックス、生化学
DNAの塩基配列データがゲノムプロジェクトの進展に伴い指数関数的に増えたため、バイオインフォマティックスのようにデータベースそのものを研究材料とし大量の配列データを扱う研究が進展している。1990年代にはタンパク質のアミノ酸配列は精製して解析するより遺伝子の塩基配列から推定する方が早いという認識があった。しかしゲノムプロジェクトが一段落し配列情報が充実している現在ではペプチド断片のアミノ酸配列を解析し関連遺伝子を検索するプロテオーム解析が可能になり事情は一変した。
タンパクを扱っていた生化学は、一時 "衰退産業"扱いとなり「DNA解析さえすれば"全て"がわかるのだ」という風潮があった。これに反して、タンパク質のアミノ酸配列(:ポリペプチド) が判るだけでは不十分という声があがり、1990年代の大学の授業では公然と分子生物学を一方的に非難する不毛な議論が旧帝国大学を中心に盛んに繰り返された。しかしその後、分子生物学的な手法による蛋白質の機能解析は生化学的手法による解析結果と一致し、かつ相互にその結果を予想しうる知見が蓄積された。現在ではDNAのメチル化やアセチル化、タンパク質のユビキチン化やリン酸化、多糖類、脂質などによる修飾がその機能に寄与していることが明らかにされ、また、生体内でのタンパク質の性質や相互作用を理解する上で分子生物学的手法・生化学的手法の共用が重要であると認識されている。生化学と分子生物学の境界は増々あいまいになってきており、日本国内でもたびたび分子生物学会と生化学会の学会年会が合同で開催されている。
[編集] マクロな分野への進出
また、分子生物学に対する誤解から、分子生物学は「構造のないモノクローンな細胞系」分野から興隆し、分子生物学者には「素材の分子がすべてわかった」=「理解した」ことまでしか出来ないと従来の生物学者による批判が強かった。中でも、発生や脳等の複雑な現象を対象とする研究分野においては分子生物学による解明が遅れたために、その批判が特に激しかった。しかし研究が進むにつれ、脳のように、細胞間連絡のようなマクロ構造や、分子構造には表現されない電気的情報処理が重要な器官についても、現在では分子生物学なくしては機能を解き明かすことは不可能である。それゆえ脳科学の分野でも神経解剖学、神経生理学、脳機能画像研究などのマクロな分野、細胞動態を観察する分野へと分子生物学が進出し、分子レベルでの機能の解明を認めない古典的なバイオロジストを駆逐しつつある。しかし、一方では免疫学など細胞レベルで生命現象を捉える分野では、分子は細胞を識別するマーカーに過ぎないとする考えが根強く、分子レベルでの理解を目指す分子生物学を認めない研究分野も存在する。
[編集] 日本の分子生物学
富沢純一国立遺伝学研究所元所長がアメリカから帰国後、アメリカで起こった分子生物学を理解できる研究者を育てるためにファージ講習会を開いたのが日本の分子生物学の始まり。このファージ講習会で分子生物学を学んだ研究者が中心となり日本の分子生物学を造った。現在の日本でもっとも注目されている分子生物学者の一人に柳田充弘がいる。2ちゃんねるなどのインターネット掲示板では「Y田」や「御大」とよばれ話題にあがっている。 一方、分子生物学に従事する若手研究者の間ではアカデミックなポジション不足が年々深刻さを増し、NatureやScience誌に筆頭著者で論文を出しても助教になれないことや、あるいはそれらの一流雑誌にコレスポンディングオーサーとして論文を複数発表しても教授になれないなど事態は深刻を極めている。インターネットの掲示板では分子生物学をフリーター生産工場や、富士樹海行き志願者と揶揄されるにいたる。実際の研究室の現場でも高齢ポスドクによる修士学生への博士課程進学をやめさせる説得をするケースが増え、研究室の崩壊が始まっている。柳田充弘本人も自身のブログで、このような現状を招いた「ポスドク一万人計画」を痛烈に批判している。
[編集] 日本分子生物学会
日本分子生物学会(英文名:The Molecular Biology Society of Japan)は、分子生物学の分野を取り扱っている日本の学会。正式名称は特定非営利活動法人日本分子生物学会である。1978年(昭和53年)12月5日に設立された。毎年12月に年一回の総会が開かれている。柳田充弘も会長を務めた。2007年現在で会員数が1万人を超える世界有数のマンモス学会。会員数の増加に伴い会場の収容人数の観点から地方での開催が難しくなり、地方での開催を目指して小規模の春季大会が開かれているものの第一回春季大会が一学会員の退官記念バーティーとかねていたために冷ややかな見方をする会員も多く、ある意味成功?している。2006年は日本生化学会と合同で京都で学会を主催し、2007年度横浜大会も合同で開催している。
[編集] Genes to Cells
Genes to Cellsは、日本分子生物学会の学会誌。イギリスのNatureやアメリカのScienceに匹敵する国際学術誌を目指して1996年1月に創刊された。初代編集長は富沢純一元国立遺伝学研究所所長。発足当時は論文が集まらず、編集長自ら「雑誌はつぶし時が肝心だ」という冗談を飛ばすほどであったが、その後、持ち直し現在に至る。ここ数年のインパクトファクターは3-5。
[編集] 実験手法
- DNAの抽出
- ライブラリーの作成
- クローニング
- 電気泳動
- サザンブロッティング
- ノーザンブロッティング
- ウェスタンブロッティング
- シークエンシング
- PCR (Polymerase Chain Reaction)
- マイクロアレイ
- ChIP
- ChIP on chip
- 定量PCR
- ファーウエスタン
- 免疫沈降(免沈、IP)
- RNAi
- トランスジェニックマウス
- コンディショナルノックアウトマウス