円如
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円如(えんにょ、延徳元年(1489年) - 永正18年8月20日(1521年9月20日))は、戦国時代の浄土真宗の僧侶。諱は光融(こうゆう)。本願寺9世法主・実如の次男、同10世法主・証如の父。母は高倉永継の娘・如祐。父に先立って没したために歴代本願寺法主には加えられていない。
山科にて生まれ、12歳の時に兄・照如の死を受けて得度して本願寺法嗣に定められる。高齢の父に代わって教団の実務を行う。北陸門徒に対し一揆の禁止をはじめとする3か条の戒めを発布したり、本願寺の一族を一門衆(嫡男)と一家衆(次男以下)に分ける一門一家制を設けたり、蓮如の文書の中から80通を選んで5帖に編集し御文とよんで宗門信条の基本とするなどの教団改革を行い、戦国期の本願寺体制の基礎を築いたが、33歳の若さで没した。