今江敏晃
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今江 敏晃 千葉ロッテマリーンズ No.8 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府向日市 |
生年月日 | 1983年8月26日(24歳) |
身長 体重 |
180cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2001年 3巡 |
初出場 | 2002年4月28日近鉄戦(大阪D) |
年俸 | 7,300万円(推定) |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
今江 敏晃(いまえ としあき、1983年8月26日 - )は、京都府向日市出身のプロ野球選手。千葉ロッテマリーンズ所属。ポジションは内野手(三塁手)。背番号は8番。
目次 |
[編集] 人物
- 愛称は「ゴリ」。
- 2004年に10歳年上の女性と結婚し、翌年10月のプレーオフ開催中に第1子が誕生した。
- 2005年シーズンには一時首位打者争いをするなど頭角を表す。西岡剛と共に「ボビーチルドレン」と呼ばれた。
- 応援歌はイ・ジョンヒョンの『ワ』が原曲。以前は石井浩郎、伊与田一範の応援歌として使われており、2003年に伊与田が戦力外通告を受け退団したため、2004年から現在の応援歌に変わった。ちなみに応援歌は「イ」シイ、「イ」ヨダ、「イ」マエと「イ」繋がりで使われている(意図的なのかは不明)。
- ポジションは主に三塁手。ごくまれに二塁手。2005年シーズン中盤まで、半身に構える独特のスタンスで守備に就いていた。
- 三塁の守備には定評があり、守備範囲も広く、エラーも少ない。ダイビングキャッチをすることも多い。2005年~2007年の3年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。また、2005年から3年連続で三塁手部門で守備率リーグトップを記録している。
[編集] 来歴
- 1998年:中3春に全国優勝。ボーイズリーグの世界選抜として世界大会でも優勝。
- 1999年:PL学園高で1年生時から4番に座る。高校通算本塁打は32本。
- 2000年:遊撃手で夏の甲子園に出場、3回戦で敗退。当時の同級生には桜井広大(現阪神)、朝井秀樹(現東北楽天)、小斉祐輔(現福岡ソフトバンク)らがいる。また一学年上に中尾敏浩(現東京ヤクルト)がおり、二遊間を組んでいた。
- 2001年:ドラフト3巡目で千葉ロッテに指名され、入団。当時の背番号は25。(25番も、ロッテではかつてPL学園高出身の先輩で左の巧打者だった得津高宏が着けていた背番号であり、期待の高さがうかがえる。)
[編集] プロ入り後
入団前から期待は高く、4月30日に遊撃手で一軍初スタメン出場。その後二軍落ちするが一年目から二軍のレギュラーを獲得する。後半一軍に再昇格し、プロ初安打を放った。
フレッシュオールスターに出場し、1-3とリードされた8回裏に1死満塁のチャンスで逆転の走者一掃の三塁打を打つ活躍で、MVPに選出された。
遊撃手のレギュラーに小坂誠がいたため、強肩を生かして外野手へのコンバートを打診されたが、内野手をやりたいという自身の希望で三塁手へのコンバートとなった。6月から初芝清やマット・フランコらと三塁手のレギュラーを争う活躍を見せ、6月にはプロ初本塁打を記録。しかし故障により41試合の出場にとどまる。
背番号を「ミスターロッテ」こと有藤道世が背負っていた8に変更。9番三塁手として初の開幕スタメンを果たす。三塁手としてレギュラーに定着すると、一気にチームトップとなる132試合に出場した。
- 球団史上歴代5位となるシーズン22試合連続安打を記録、8月の月間打率は4割を超え、一時は打率がリーグ1位に。その後も調子を維持し初の規定打席&3割に到達した。またこの年のパリーグ最多二塁打となる35二塁打を記録。
- 日本シリーズでは、第1戦・第2戦で8打席連続安打、シリーズ打率.667と新記録を達成し、日本シリーズMVPにも選出される。
- こうした活躍を高く評価され、三塁のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞する。
- 2006年
2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、5試合に出場し4打点を挙げ、世界一に貢献。シーズンでは前半は2番に起用されることが多かったが、調子の波が激しく打撃が安定しなかった。三塁のレギュラーは守ったものの結局最後まで不調に終わり、打率を大きく下げてしまった。最後のパリーグ東西対抗にて3ランを含む3安打でMVPとなる。この年も2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。
シーズン中の骨折もあり、前年同様の打撃不振に陥り、打率.249とさらに打率を下げてしまった。打順はほとんど8番か9番だった。また、故障により守備面でも不安があり堀幸一や青野毅にポジションを譲ることもあったが、三年連続のゴールデングラブ賞は獲得した。
[編集] 略歴
- プロ入り年度/ドラフト順位:2001年/3巡目
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表(5試合 10打数 2安打 4打点 2三振 打率.200)
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
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2002年 | ロッテ | 25 | 15 | 25 | 25 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | .200 |
2003年 | 5 | 6 | 6 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .333 | ||
2004年 | 41 | 149 | 136 | 12 | 35 | 8 | 2 | 1 | 50 | 18 | 0 | 1 | 3 | 2 | 5 | 3 | 21 | 1 | .257 | ||
2005年 | 8 | 132 | 501 | 461 | 58 | 143 | 35 | 3 | 8 | 208 | 71 | 4 | 1 | 10 | 5 | 22 | 11 | 62 | 16 | .310 | |
2006年 | 126 | 489 | 457 | 49 | 122 | 25 | 2 | 9 | 178 | 47 | 3 | 2 | 11 | 3 | 17 | 1 | 74 | 9 | .267 | ||
2007年 | 102 | 338 | 305 | 32 | 76 | 14 | 2 | 9 | 121 | 42 | 0 | 0 | 12 | 4 | 13 | 3 | 55 | 9 | .249 | ||
通算(6年) | 421 | 1516 | 1390 | 151 | 383 | 86 | 9 | 27 | 568 | 181 | 7 | 4 | 36 | 14 | 57 | 18 | 221 | 35 | .276 |
[編集] 年度別守備成績
年度 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | |||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2002 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 9 | 5 | 9 | 1 | 0 | .933 | 4 | 1 | 3 | 1 | 0 | .800 |
2003 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
2004 | - | 41 | 32 | 55 | 3 | 4 | .967 | - | ||||||||||
2005 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 132 | 99 | 264 | 9 | 24 | .976 | - | |||||
2006 | - | 125 | 78 | 225 | 12 | 24 | .962 | - | ||||||||||
2007 | - | 99 | 64 | 183 | 5 | 6 | .980 | - | ||||||||||
通算 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 408 | 279 | 737 | 30 | 58 | .971 | 4 | 1 | 3 | 1 | 0 | .800 |
[編集] タイトル・表彰・記録
- フレッシュオールスターMVP(2003年)
- 日本シリーズMVP 1回(2005年)
- ベストナイン 1回(2005年)
- ゴールデングラブ賞 3回(2005年~2007年)
- オールスターゲーム出場 1回(2006年)
- 千葉市市民栄誉賞(2006年)
[編集] 日本シリーズ記録
- 初打席本塁打(史上13人目)(2005年10月22日)
- 最多連続打席安打 8本(2005年10月22日~23日)
- 最多連続打数安打 8本(2005年10月22日~23日)
- 1試合最多安打 4本(史上20人目22、23回目)(2005年10月22、23日)
[編集] 個人記録
- 初出場 - 2002年4月28日 対大阪近鉄5回戦・9回代打で(大阪ドーム)
- 初安打 - 2002年9月30日 対西武27回戦・2回西口文也投手から(西武ドーム)
- 初打点 - 同上(初安打初打点)
- 初本塁打 - 2004年8月21日 対福岡ダイエー24回戦・2回神内靖投手から(千葉マリンスタジアム)
- 初盗塁 - 2005年4月6日 対西武3回戦・4回(インボイスSEIBUドーム)
[編集] エピソード
- 日本シリーズで本塁打を打った際、そのボールはレフトの阪神サイドへ。試合後、取ったというファンからボールを返してもらった。この行為に本人は人目をはばからず号泣。「明日以降も頑張ります!」と宣言し、その後もシリーズ男として八面六臂の大活躍を見せた。
- ゴリという愛称からかファンからバナナがプレゼントされた。しかし、今江の好物はソーセージであり、公式サイトの好きな食べ物の欄にソーセージと書くほどである(千葉マリンスタジアムで販売されるマッチ・カード・プログラムの4コマ漫画でもネタにされた)。
- ちなみに2005年オフに関口宏の東京フレンドパークIIに出演した際、番組内で行われたアーケードゲームの「バナナシューター」に挑戦し、ゲームで使用するバナナのぬいぐるみをゲーム終了後に持ち帰っていた。
- オフのゴルフコンペの際、「来年の目標は?」と聞かれ「首位打者を獲りたいです」と発言。そのコンペに参加していた先代背番号8・有藤道世に「“獲りたい”じゃなくて“獲ります”と言え!」と一喝された。
- 福岡ソフトバンクの神内靖投手とは同級生で京都のリトル・リーグ時代から対戦しており現在も交友がある。ちなみにプロ野球選手として初めての対戦となった試合で、今江は神内からプロ入り一号本塁打を放っている。余談だが、この時、今江は骨折からの復帰戦で放った本塁打であり、当時交際していた現在の夫人へとそのボールを渡そうとしていた為、様々な手を尽くしてそのボールを得たという。
- 2006年ワールド・ベースボール・クラシックの二次予選・韓国戦でセンター金城龍彦からの返球を落としてしまい、さらに「落としていない」とアピールする間にバッターランナーに二塁への進塁を許してしまった(記録にはエラーはついていない)。結果的にこのアピールによって決勝点を挙げられ、「もう日本に帰っても生きていけない」と考えるほどに思いつめたという。しかし決勝では2点タイムリーを放った。
- そのWBCでチームメイトだった岩村明憲がメジャーリーグに移籍する際、アメリカの公式サイトにて写真が岩村ではなく今江だった、という事件が起きた。偶然にも、マリーンズの三塁手の前任者・初芝清にも同様の事件が起きている。(アメリカのスポーツニュース番組でイチローの紹介があった時の顔写真が初芝だった。)
- 2006年12月28日の契約更改時、当初は「推定300万増の年俸5,800万円」と報道された。しかし翌日、今江自身が「300万アップではなく、1,000万アップ」と異例の修正コメントを提出。増額公開の理由は「これだけ貰う選手である、というプライドがある。そして球団に評価して貰ったということを伝えたかった」と表明した。更に今江自身は自宅に帰宅した後、夫人と2度目の金額交渉を行う。
- シアトル・マリナーズのイチローの大ファンであり、本人の前で福岡ソフトバンクの川崎宗則と「イチローカルトクイズ」勝負をした。またWBC期間中にイチローが所有しているアリゾナ州の別宅に招待された際、「どちらがイチローさんの車の助手席に乗るか」ということで川崎とじゃんけんになった(『ジャンクSPORTS』内での発言)。同番組で夫人が登場した際、彼が試合のチャンスで打てずに帰宅した後、一人部屋で泣いていることなどを暴露されていた。
- 近年に入ってからは、ひげを伸ばしたことで、ついに風貌までもがすっかりイチローとそっくりになった。
- 京成バス、幕張本郷駅―千葉マリンスタジアム間路線でのロッテ選手音声による車内アナウンスが流されており、そのうち今江は「皆が気持ちよく利用出来るよう、空き缶、新聞・雑誌は車内に置き去らず、持ち帰って」といった内容を担当している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 今江敏晃の応援歌
- 今江敏晃 選手名鑑(マリーンズ公式サイト内)
- 今江敏晃公式サイト-今江主義-(公式サイト)
- 今江幸子のプライベートトーク(幸子夫人のブログ 更新終了)
- インタビュー「一人では成しえなかった“世界一”への飛躍」(インタビューマガジン「Anchor」)
- 「マリーンの風」若武者・今江、「頂点」に(アサヒコム・マイタウン千葉)
監督 |
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2ボビー・バレンタイン |
コーチ |
78西村徳文(ヘッド兼外野守備走塁兼3塁ベースコーチ)|79井上祐二(投手)|87高橋慶彦(打撃)|85袴田英利(バッテリー)|77吉鶴憲治(バッテリー)|81成本年秀(ブルペン)|83ランペン(打撃兼内野守備兼ベンチコーチ)|73諸積兼司(バント兼1塁ベースコーチ)|90立花龍司(ヘッドコンディショニング)|86佐野嘉幸(巡回) |
二軍監督・コーチ |
80レン・サカタ(監督)|71古賀英彦(ヘッド)|88荘勝雄(投手)|75高沢秀昭(打撃兼外野守備走塁)|94定詰雅彦(バッテリー)|72上川誠二(内野守備走塁)|82イエーツ(投手兼コンディショニング担当) |
投手 |
0荻野忠寛|1大嶺祐太|11神田義英|12川崎雄介|13浅間敬太|14小宮山悟|15柳田将利|16久保康友|17成瀬善久|18清水直行|19唐川侑己|20服部泰卓|21内竜也|24下敷領悠太|27古谷拓哉|28根本朋久|29小野晋吾|30伊藤義弘|31渡辺俊介|35三島輝史|36黒滝将人|37林啓介|38中郷大樹|41小林宏之|43アブレイユ|45松本幸大|46呉偲佑|47手嶌智|48高木晃次|49シコースキー|51植松優友|53相原勝幸|56木興拓哉|60阿部和成|66末永仁志|69江口亮輔|99田中良平 |
捕手 |
22里崎智也|33橋本将|39田中雅彦|62金澤岳|63青松敬鎔|67新里賢 |
内野手 |
4オーティズ|5堀幸一|7西岡剛|8今江敏晃|9福浦和也|32根元俊一|40渡辺正人|42ズレータ|52塀内久雄|58青野毅|59細谷圭|68早坂圭介|70定岡卓摩 |
外野手 |
00代田建紀|3サブロー|10大松尚逸|23大塚明|25竹原直隆|44早川大輔|50ベニー|55神戸拓光|57佐藤賢治|61角中勝也|65南竜介 |
育成選手 |
121池田健|122宮本裕司|123小林憲幸|124白川大輔|125大谷龍次|126田村領平 |
千葉ロッテマリーンズ 2001年ドラフト指名選手 |
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1巡目:喜多隆志 / 3巡目:今江敏晃 / 4巡目:田中充 / 5巡目:辻俊哉 / 6巡目:富永旭 / 7巡目:丸山泰嗣 |