京都市交通局1800形電車
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京都市交通局1800形電車は、1968年(昭和43年)から1970年(昭和45年)にかけて登場した京都市電の路面電車。
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[編集] 概要
1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)にかけて製造された800形の大部分をワンマンカーに改造したもので、900形を改造した1900形とともに、1978年(昭和53年)の京都市電全廃の日まで在籍し、主力車として運行された。
[編集] ワンマン化改造
801号~870号の全70両が改造された(車両番号の下2桁は変わらず)。間接制御車が主体の871以降は諸事情により改造工事から漏れ、間接制御車であったが改造対象となった867~870についても1000形などからの機器流用でKR-8制御器+PV-3ブレーキ弁搭載の直接制御車に改造され、集電装置もビューゲルに交換されている。
また、同じく間接制御車だった866は1965年にワンマン化に向けたテスト改造を受けており、このときに直接制御化・ブレーキ弁交換・集電装置の交換・前照灯の変更などの変更が施され、ワンマン改造に際して他の改造車と仕様を揃えられている。なお、主電動機のうちSS-50搭載車については後年700形等からの廃車発生品のSS-60に順次交換[1]されており、1800形各車の最終的な電気的仕様はほぼ統一されていた。
ワンマン化改造に当たっては後部扉が中央側に移設されて窓配置がD4D31に変更され、前照灯が白熱灯1灯からシールドビーム2灯に変更されて前面上部左右に振り分けられ、さらに旧前照灯取付位置付近に行灯式のワンマンカー表示が掲げられた。また、直接制御車故に電動発電機を搭載していなかった865以前についてはワンマン機器の給電用として電動発電機が追加搭載されている。車内の照明は種車の管状電球を引き続き使用しており、これは全廃までそのままであった。
扉位置の移設以外は600形→1600形の改造を踏襲している。
なお、ワンマン化された車両の一部は、一時期ツーマン車として使用された。
[編集] 譲渡車両
1844~1870のうち6両(1844と1866~1870)が阪堺電気軌道(本社:大阪市住吉区、南海電気鉄道の子会社)に払い下げられて同社のモ251形251~256となり、朝のラッシュ時に運用された。
[編集] 保存車両
京都市電廃止後、少なくとも20両が学校・保育園・公園・または個人などに譲渡され静態保存ないし再利用されたが、その後劣化が進み廃棄されたものも多い。比較的保存状態が良好なものの一つとして、トップナンバーである1801が京都市左京区の「京都コンピュータ学院北白川校」敷地内に2600形2603とともに展示されている。
公園に保存されたものの中には電車児童館(第二種児童館)として活用されたものもあったが、第一種児童館(一般の建物がある児童館)の整備に伴い電車児童館を閉館することとなり、そのほとんどが廃棄されてしまった。唯一西京区樫原のちびっこひろばで児童館として使用されていた1849は、樫原児童館の新築による電車児童館閉館後、ひろばが京都市の「地域のコミュニティひろば再生プロジェクト」のモデルひろばに指定され、地域住民と協力してひろば整備の取組が行われたことにより、電車が地域の集会所として活用されるようになっただけでなく、遊具の再配置と同時に、電車が電停に停車しているような形に整備された。
また、前述の阪堺電軌モ251形はモ701形の増備などで廃車されたが、モ256(旧1870)は同社の我孫子道車庫で動態保存の形で留置されており、モ255(旧1869)はアメリカ合衆国アリゾナ州のツーソンにあるオールド・プエブロ・トロリーに再度譲渡され、新造当時の800形869に復元されて動態保存されている。
[編集] 脚注
- ^ 1826・1842・1851の3両は最後まで交換工事が施工されず、SS-50装備で残された。
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過去の車両 | |||||
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