一式砲戦車
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一式砲戦車 | |
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性能諸元 | |
全長 | 5.90 m |
車体長 | 5.59 m |
全幅 | 2.23 m |
全高 | 2.29 m |
重量 | 14.7 t |
懸架方式 | 平衡式連動懸架装置 |
速度 | 38 km/h |
行動距離 | 210 km |
主砲 | 九〇式75mm野砲×1 |
副武装 | なし |
装甲 | 8~50 mm |
エンジン | 三菱 空冷V型12気筒ディーゼル 170 馬力/2000 rpm |
乗員 | 5名 |
一式砲戦車 ホニ I(いっしきほうせんしゃ-)とは、太平洋戦争期における大日本帝国陸軍初の自走砲である。
当初は一式七糎半自走砲として制式化されたが、そのあと一式砲戦車としても制式化されている。一式七糎半自走砲は砲兵科、一式砲戦車は機甲科が呼称したもので、どちらも名称以外はほぼ同じ仕様である。
[編集] 開発
本車は九七式中戦車の車体を流用し、1939年の末に始まり、1941年半ばには試作車が完成して制式化された。
主砲には九〇式野砲の台車の部分をはずしたものを搭載した。九〇式野砲は当時の日本陸軍の野砲の中では比較的初速が速く、対戦車砲としても遜色のない性能であったため、三式中戦車にも改良型が採用されている。
砲戦車の任務として対戦車戦闘も前提にあったため、自走砲でありながらも、車体部は車体自体の25 mmにプラスして16 mmの増加装甲が施されおり、数字上は九七式中戦車より厚い装甲を備えている。砲盾部の装甲厚も50 mmとなっている。ただ、同時期の自走砲の例に漏れず上部構造物はオープントップ式で上面と背面の装甲は無い。車体に装備されていた機銃は廃止されている。
1942年には、ドイツ軍のヴェスペのコンセプトにならい、やはり九七式中戦車の車体に九一式十糎榴弾砲を搭載した一式十糎自走砲も制式化された。こちらはホニ IIとして区別した。この一式十糎自走砲は装備する九一式十糎榴弾砲の初速が低く装甲貫徹能力が期待できなかったため、対戦車戦闘は行わず元来の自走砲として運用される想定であった。
[編集] 生産と実戦
1941年に制式化されたものの、生産能力不足から1943年11月に生産が開始された。
野戦砲兵学校を基幹要員として一式砲戦車を装備して編成した独立自走砲大隊は、1944年末のフィリピンへの上陸時に輸送船が撃沈され装備のすべてと要員の過半を失い解隊された。その後にフィリピンへの揚陸に成功した戦車第二師団の独立自走砲中隊がルソン島クラークフィールドで戦闘に参加しており、この際にアメリカ軍に捕獲された車輌が現在もアバディーン実験場に展示されている。他に戦車第十四連隊によりビルマなどでも使用されたが、いずれもごく少数である。また、中国の戦車師団に少数が配備されたとも言われている。
一式砲戦車 ホニ I と一式十糎自走砲 ホニ II と合わせて138輌(資料によって124輌、または55輌)が生産された。
[編集] 関連項目
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