ロバート・ミリカン
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ロバート・ミリカン(Robert Andrews Millikan、1868年3月22日 - 1953年12月19日)はアメリカ合衆国の物理学者である。1923年、電気素量の計測と光電効果の研究によりノーベル物理学賞を受賞した。アメリカ合衆国において大衆的な人気を得た物理学者、当時のアメリカの物理学界での権威となった実験物理学者である。
はじめ古典文学を学ぶが、物理学に転向し1895年コロンビア大学で物理学の学位をえた。物理学の入門的な教科書を書き大衆的な人気を得た。また、カリフォルニア工科大学の創立に加わり、同校が合衆国において有数の名門校となる基礎を築いた。
目次 |
[編集] 電気素量の計測
1912年シカゴ大学の教授であった時電気素量を測定する実験(ミリカンの油滴実験)の結果を発表した。彼の求めた値、1.592×10-19クーロンは、現在の値1.60217653×10-19クーロンに近いもので、測定にもちいた空気の粘度の値の誤差により若干の外れが生じたと考えられる。
[編集] 光電効果に関するミリカンの実験
1916年光電効果の定量的実験を行った。光電子のエネルギーと光の波長からプランク定数を求めた。
[編集] 宇宙線の研究
20世紀始めの物理学の話題の一つは電離箱の電荷の自然放電が、高度が高くなるほど大きくなることで、ヘスらの気球を用いた観測で宇宙線の存在が示されていたがミリカンは1925年、実験で確認をおこない、宇宙線の名付け親になった。
[編集] いくつかのエピソード
油滴実験の精度を高めるために重要だった水滴のかわりに蒸発の少ない油滴を使うアイデアは、当時大学院生だったハーヴェイ・フレッチャーのアイデアであったが、ミリカンは発表論文を単独名で発表した。
油滴実験で電気素量を求めるのに得られた170あまりのデータから58例のデータを選択したとされる。
宇宙線について始め否定的な実験結果を示したが、後に存在説に変わった。
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