レーナード・スキナード
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レーナード・スキナード (Lynyrd Skynyrd) はアメリカのサザン・ロックのバンド。
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[編集] 略歴
1964年の夏にフロリダ州ジャクソンビルで、ロニー・ヴァン・ザント、ゲイリー・ロッシントン、ボブ・バーンズ、アレン・コリンズ、ラリー・ヤンストロムの5名により結成。結成当初のバンド名はBob's Backyard。これはボブ・バーンズの自宅車庫で練習していたことに由来する。1968年にバンド・コンテストで優勝し、地元のローカル・レーベルからデビューした。1970年にバンド名をレーナード・スキナードに改名。この奇妙な名は、メンバーのハイスクール時代の体育教師「レオナルド・スキナー」氏の名前をもじったものだという。
やがてバンドはアル・クーパーに見出され、1973年にMCAレコードからアルバム "Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd" でデビューした。アルバムからシングルカットされた「フリーバード (Free Bird) 」がヒットし、バンドは順調なスタートを切る。1974年には「スイート・ホーム・アラバマ (Sweet Home Alabama) 」が大ヒット。サードアルバムからは「サタデーナイトスペシャル (Saturday Night Special) 」がバート・レイノルズ主演の映画「ロンゲスト・ヤード (The Mean Machine) 」の挿入歌に採用された。トリプルリードギターを擁する重厚な音を特徴とし、オールマン・ブラザーズ・バンドと並ぶサザン・ロックの旗手として、ライブでは多数の観客を動員する人気バンドとなった。最盛期(1976年前後)には南部でのライブにおいてカルロス・サンタナを前座とするほどの人気を誇った。
音楽的には当時隆盛のブルース・ロックをはじめとするブリティッシュ・ロックに強い影響を受けつつも、アメリカ南部土着のカントリーのセンスを保持し、後にサザン・ロックと呼ばれる音を作り上げた。またビジュアル・イメージに南軍旗を使うなど、アメリカ南部の悪くいえばレッドネックのイメージを強く持っていたが、それが南部ではバンドへの根強い支持につながっていた。
1977年10月18日、ツアー中の飛行機(コンベア240)がミズーリ州マッカム近郊で燃料切れにより[1]墜落し、ロニー・ヴァン・ザント、スティーブ・ゲインズ、スティーブ・ゲインズの妹でバックコーラスのメンバーだったキャシー・ゲインズら主要メンバーが死亡。バンドは解散した。
飛行機墜落事故の同年にはロニーの弟であるドニー・ヴァン・ザントが率いる "38 Special" がデビューしており、しばらくはレーナード・スキナードの後継を名乗り、コンサートでもレーナード・スキナードの曲を演奏するなどしていたが、1987年、ロニーのもう一人の弟であるジョニー・ヴァン・ザントが中心となりバンドを再結成。ライブを中心に現在も活動を続けている。2006年にはロックの殿堂入りを果たした。
[編集] 日本公演
- 1月14日,15日,16日,21日 中野サンプラザ
- 11月9日 NHKホール、10日 CLUB CITTA'、11日 IMPホール、14日,15日 CLUB CITTA'
[編集] その他
[編集] 外部リンク
- Official Site
- Official Lynyrd Skynyrd History site
- Official Steve Gaines site
- Official Artimus Pyle site
- Official Ed King site
- レーナード・スキナード歌詞