レオニード・マシーン
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レオニード・マシーン(Léonide Massine, 1896年8月9日 モスクワ - 1979年 3月15日 西ドイツ)はロシア出身のバレエダンサー・振付師。本名はレオニード・フョードロヴィチ・ミャーシン(Leonid Fyodorovich Myasin )。
モスクワのボリショイ劇場附属学校に学ぶ。ロシア・バレエ団に入団、ニジンスキー退団後の花形男性ダンサーとなり、1915年から1921年まで首席振付師を務めた。ディアギレフの死によりロシア・バレエ団が空中分解すると、マシーンはモンテカルロ・ロシア・バレエ団にかかわり、バレエ界を再び活性化させるのに力を入れた。バレエ映画「赤い靴」(1948年)と「ホフマン物語」(1951年)に出演した。
ケルンもしくはヴェストファーレン州ヴェーゼケ・バイ・ボルケンにて他界。