ルクセンブルク大公
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ルクセンブルク大公はルクセンブルク大公国の国家元首。
1815年の成立当初はオランダ国王が地位を兼ねる同君連合だった。しかしルクセンブルクではサリカ法典により女子の継承を認めていなかったが、ウィレム3世の後継者は女性であるウィルヘルミナのみであった。そこで1890年に同君連合が解消され、ナッサウ=ヴァイルブルク家のアドルフ(オランダ総督、オラニエ公ウィレム4世の玄孫)が大公に即位することとなった。
ところが、今度はギヨーム4世の代になって、ナッサウ=ヴァイルブルク家でも男子の継承者が途絶えた。結局、女子の継承を可能とする法改正が行われ、マリー=アデライド、シャルロットの姉妹が相次いで大公位を継承した。シャルロットは家名をルクセンブルク家と変えたが、ナッサウ=ヴァイルブルクの家名は現在でも用いられる。なお、中世に神聖ローマ皇帝、ボヘミア王、ハンガリー王を輩出したルクセンブルク家と直接のつながりはない。
ナッサウ=ヴァイルブルク家の大公はフランス語名で呼ぶのが通例となっている。ただしギヨーム4世のみは、オランダ王を兼ねたウィレム1世~3世にならってオランダ語名で呼ぶ場合もある。ここではオランダ語名を括弧内に併記しておく。
[編集] 歴代大公
- オラニエ=ナッサウ家
- ギヨーム(ウィレム)1世 (在位:1815年 - 1840年 兼オランダ国王)
- ギヨーム(ウィレム)2世 (在位:1840年 - 1849年 兼オランダ国王)
- ギヨーム(ウィレム)3世 (在位:1849年 - 1890年 兼オランダ国王)