ルイゾン・ボベ
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獲得メダル | ||
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金 | 1954 ゾーリンゲン | プロ・個人ロードレース |
銀 | 1957 ヴァレゲム | プロ・個人ロードレース |
銀 | 1958 ランス | プロ・個人ロードレース |
ルイゾン・ボベ(Louison Bobet。1925年3月12日-1983年3月13日)はフランス、サンメーン・ルグラン出身の名自転車競技選手。ツール・ド・フランス史上初の総合3連覇を達成した。
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[編集] 経歴
[編集] ツール・ド・フランス3連覇への歩み
初出場は第二次世界大戦後初のツール開催となった1947年であったが、途中棄権。その後もツールに参加こそすれ、1950年の総合3位が最高の順位。しかも優勝したフェルディ・キュプラーに22分19秒もの差をつけられた。当時、ツールは「国別対抗戦」の形式を取っていた。すると、ジーノ・バルタリ、ファウスト・コッピの2強を擁するイタリアの層の厚さが抜きん出ており、またクブラー、ユーゴ・コブレといったスイス勢も強く、地元フランス勢は明らかに劣勢を強いられていた。
しかし、ボベが初のツールを制することになる1953年あたりになると、彼らにも次第に衰えが出始めていた。この年のツールでは、5人のフランス選手がマイヨ・ジョーヌを奪取し、久々に地元勢が大暴れ。対するバルタリらを擁するイタリアは振るわず、スイスもコブレをはじめとしてリタイア選手が続出する展開となっていた。ボベは第18ステージに設けられたツールでは定番の難所、イゾアール峠で一気にスパートをかけそのまま区間優勝を果たすと、前ステージまで総合首位だった同胞のジャン・マレジャックからマイヨを奪い取った。さらにボベは第20ステージの山岳・個人タイムトライアルでも圧勝し、終わってみればマレジャックに14分18秒の差をつけていた。
1954年、ボベは第4ステージの山岳・個人TTを制すると早くもマイヨを奪取し、第7ステージまで堅持。その後はキュプラーらの手に渡ったものの、第14ステージで区間優勝のキュプラーと同タイムの2位でゴールするとマイヨを奪回。その後は総合2位のキュプラー以下を全く寄せ付けず、連覇を達成した。
1955年、ピレネー超えステージ初日の第17ステージでボベは区間2位に入り、ここでマイヨを奪取。しかしベルギーのジャン・ブランカールトが猛追。第17ステージを終えた時点ではブランカールトはボベに7分以上の差をつけられていたが、第18ステージを制し、さらに第21ステージの個人TTも制してボベに4分53秒差まで詰め寄った。しかし最終ステージは平坦ステージということもあり、追撃もここまで。ボベがツール・ド・フランス史上初の3連覇を達成した。
ジロ・デ・イタリアにおいては、当時記録としてアルフレッド・ビンダが1927年から1929年まで3連覇した実績があり、4連覇をかけて出場しようとしたところあまりの強さに主催者から出場辞退を要請されたという経緯があったが、ツールではこれまで、2連覇を達成した選手は4人(1913年、1914年と連覇したフィリップ・ティスは3連覇をかけた1915年の大会を第一次世界大戦のため中止にされてしまった経緯があったが、1920年にも優勝を果たし、ツール史上初の3回目の総合優勝を果たしている。)いたものの、第二次世界大戦後に入って漸くボベが前人未到の3連覇を達成した。
一方、ボベの3連覇中にフランス勢の選手層がかなり厚くなってきたこともあってか、1956年、1957年のツールは出場すらできず、1958年に3年ぶりに出場するものの、フランスチームのエースは、後にボベの3連覇を上回る4連覇を達成することになるジャック・アンクティルとなっていた。この年のツールでは、アンクティルが途中棄権してしまったがボベは完走。しかし優勝したシャルリー・ゴールから遅れること31分39秒の7位に終わった。そして1959年のツールにも出場して途中棄権に終わったが、これがボベが出場した最後のツールとなった。
[編集] その他の実績
ツール以外でも、ボベは数多くのレースを制覇している。世界自転車選手権は1954年、ミラノ~サンレモ、ジロ・ディ・ロンバルディアは1951年、パリ~ニース、グランプリ・デ・ナシオンは1952年、ロンド・ファン・フラーンデレン、ドーフィネ・リベレは1955年、パリ~ルーベは1956年に制覇。またボルドー~パリを1959年に制覇した他、クリテリウム・アンテルナシオナルは1951・52年と連覇を果たしている。また優勝こそできなかったが、1957年のジロでは総合2位に入っている。
1960年に現役を引退後はいくつかの事業を展開する事業家に転身してこれも成功を収め、とりわけサラソセラフィーという海水派生の健康用品については大ヒットを博したという。
[編集] 外部外部リンク
1927 アルフレッド・ビンダ · 1928・1929 ジョルジュ・ロンセ · 1930 アルフレッド・ビンダ · 1931 レアルコ・グエラ · 1932 アルフレッド・ビンダ · 1933 ジョルジュ・スペシェ · 1934 カレル・カール · 1935 ジャン・アールツ · 1936 アントナン・マーニュ · 1937 エロワ・ミューレンベルク · 1938 マルセル・キント · 1939-1945 第二次世界大戦のため中止 · 1946 ハンス・クネヒト · 1947 テオ・ミデルカンプ · 1948 ブリック・ショット · 1949 リック・バンステーンベルヘン · 1950 ブリック・ショット · 1951 フェルディナント・キュプラー · 1952 ハインツ・ミュラー · 1953 ファウスト・コッピ · 1954 ルイゾン・ボベ · 1955 スタン・オッカー · 1956・1957 リック・バンステーンベルヘン · 1958 エルコーレ・バルディーニ · 1959 アンドレ・ダリガード · 1960・1961 リック・バンローイ · 1962 ジャン・スタブリンスキ · 1963 ベノーニ・ベーイ · 1964 ヤン・ヤンセン · 1965 トム・シンプソン · 1966 ルディ・アルティヒ · 1967 エディ・メルクス · 1968 ヴィットリオ・アドルニ · 1969 ハーム・オッテンブロス · 1970 ジャンピエール・モンセレ · 1971 エディ・メルクス · 1972 マリーノ・バッソ · 1973 フェリーチェ・ジモンディ · 1974 エディ・メルクス · 1975 ハニー・クイパー · 1976 フレディ・マルテンス · 1977 フランチェスコ・モゼール · 1978 ヘリー・クネットマン · 1979 ヤン・ラース · 1980 ベルナール・イノー · 1981 フレディ・マルテンス · 1982 ジュゼッペ・サローニ · 1983 グレッグ・レモン · 1984 クロード・クリケリオン · 1985 ヨープ・ズートメルク · 1986 モレノ・アルゼンティン · 1987 ステファン・ロシュ · 1988 マウリツィオ・フォンドリエスト · 1989 グレッグ・レモン · 1990 ルディー・ダーネンス · 1991・1992 ジャンニ・ブーニョ · 1993 ランス・アームストロング · 1994 リュク・ルブラン · 1995 アブラハム・オラーノ · 1996 ヨハン・ムセウ · 1997 ローラン・ブロシャール · 1998 オスカル・カーメンツィント · 1999 オスカル・フレイレ · 2000 ロマンス・ヴァインシュタインス · 2001 オスカル・フレイレ · 2002 マリオ・チポリーニ · 2003 イゴール・アスタロア · 2004 オスカル・フレイレ · 2005 トム・ボーネン · 2006・2007 パオロ・ベッティーニ · |