ライナー・シュットラー
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ライナー・シュットラー |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Rainer Schüttler |
国籍 | ドイツ |
出身地 | 同・コルバッハ |
生年月日 | 1976年4月25日 |
身長 | 180cm |
体重 | 70kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1995年 |
ツアー通算 | 6勝 |
シングルス | 4勝 |
ダブルス | 2勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 準優勝(2003) |
全仏 | 4回戦(2003) |
全英 | 4回戦(2003) |
全米 | 4回戦(2003) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 5位 |
ダブルス | 40位 |
Template |
オリンピック | ||
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男子 テニス | ||
銀 | 2004 | ダブルス |
ライナー・シュットラー(Rainer Schüttler, 1976年4月25日 - )は、ドイツ・コルバッハ出身の男子プロテニス選手。2003年の全豪オープン男子シングルス準優勝者。2004年のアテネ五輪男子ダブルスで、ニコラス・キーファーとペアを組んだ銀メダル獲得もある。自己最高ランキングはシングルス5位、ダブルス40位。ATPツアーでシングルス4勝、ダブルス2勝を挙げる。身長180cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
シュットラーは9歳だった1985年、(当時は旧西ドイツの時代)ボリス・ベッカーがウィンブルドンに史上最年少の「17歳7ヶ月」で初優勝した快挙に刺激されてテニスを始めた。1995年にプロ入り。男子テニスの下部組織「チャレンジ・ツアー」を回っていた時期、1996年に名古屋の試合でプレーしたことがある(結果はベスト8)。ベッカーとミヒャエル・シュティヒの“後継者”として早くから注目されていた、ニコラス・キーファーとトミー・ハースの2人に比べて、シュットラーは遅咲きタイプの選手である。1999年1月にドーハの試合でプロ初優勝を遂げ、初めて世界ランキング50位以内に入る。この年から、彼は男子テニス国別対抗戦・デビスカップのドイツ代表選手に選ばれた。
それから4年後、2003年の全豪オープンにおいて、第31シードだったシュットラーは準決勝でアメリカのアンディ・ロディックを破り、ダークホースの選手として4大大会決勝に初進出を果たす。その決勝戦ではアンドレ・アガシからわずか5ゲームしか奪えず、 2-6, 2-6, 1-6 の完敗で準優勝に終わった。この時、シュットラーはすでに26歳を迎えていた。(この2003年全豪オープンが、アガシの最後の4大大会優勝になった。)
2003年は全豪準優勝の波に乗って好調なシーズンを送り、年間最終ランキング6位につけた。同年10月に来日し、「ジャパン・オープン」の男子シングルス決勝戦でフランスのセバスチャン・グロージャンを 7-6, 6-2 で破って優勝している。2004年アテネ五輪の男子ダブルスで、シュットラーはニコラス・キーファーとペアを組み、決勝でチリ代表のニコラス・マスー&フェルナンド・ゴンザレス組に 2-6, 6-4, 6-3, 6-7, 4-6 のフルセットで敗れて銀メダルになった。
ライナー・シュットラーは2006年から、男子プロテニス協会の選手会長を務めている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ライナー・シュットラー (英語) - ATPツアーのプロフィール
- デビスカップ成績表