ヤロスラフ・ポポヴィッチ
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個人情報 | |
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本名 | ヤロスラフ・ポポヴィッチ Попович Ярослав |
愛称 | ポポ |
生年月日 | 1980年1月4日(28歳) |
国籍 | ウクライナ |
身長 | 175cm |
体重 | 64kg |
チーム情報 | |
所属 | サイレンス・ロット |
分野 | ロードレース |
役割 | 選手 |
特徴 | オールラウンダー |
プロ所属チーム | |
2002–2004 2005–2007 2008– |
ランドブーヴクレディート ディスカバリーチャンネル サイレンス・ロット |
主要レース勝利 | |
カタルーニャ一周 2005 ツール・ド・フランス新人賞 2005 |
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最終更新日: | |
2008年3月3日 |
ヤロスラフ・ポポヴィッチ(ウクライナ語:Ярослав Попович;ラテン文字表記:Yaroslav Popovych、1980年1月4日- )は、ウクライナ(旧ソビエト連邦)・ドロホーブィチ出身の自転車競技選手。
[編集] 経歴
2000年のアンダー23(U23)世界選手権・個人ロード2位、2001年の同種目では見事優勝。また2001年はパリ〜ルーベのU23種目でも優勝を果たし、翌2002年、ベルギーのランドブーヴクレディートと契約を結んでエリートへ転身。
同年、ジロ・デ・イタリア初出場を果たし、総合12位。翌2003年のジロでは総合3位と大健闘。ジロには2004年にも出場し、総合5位に食い込んでいる。
2005年、ランス・アームストロング擁するディスカバリーチャンネルへ移籍。そしてアームストロングが前人未到の7連覇を達成したその年のツール・ド・フランスに出場し、総合12位。さらにマイヨ・ブラン(新人賞)を獲得。また、制度初年度のUCIプロツアー対象レース、カタルーニャ一周では総合優勝を飾る。2006年、前年のツール7連覇を最後に現役を引退したアームストロングの後継リーダー的存在となり、同年のツール・ド・フランスの第12ステージを制し、グランツールでの初の1勝をマーク。
そして2007年、3年ぶりの出場となったジロ・デ・イタリアでは、ディスカバリーチャンネルのリーダーとして出場するも、第12ステージにおいて、2回の大量落車を受けた影響からリタイアを余儀なくされた。同年のツール・ド・フランスでは、同年のパリ〜ニースで総合優勝を果たしたアルベルト・コンタドールやリーヴァイ・ライプハイマーといった選手たちのアシスト役に回ったが、総合8位。マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ(山岳賞)争いでは3位に入る健闘を見せた。
2008年、前年のシーズンを最後にディスカバリーチャンネルが解散。新たな移籍先として、カデル・エヴァンスやロビー・マキュアンらがいるサイレンス・ロットへの加入が決まった。
[編集] タイプ
ステージレースにおける実績が目立つが、ワンデイレースもこなせるオールラウンダー型選手。移籍先のサイレンス・ロットでは、エヴァンスとの兼ね合いが注目されるが、チームリーダーになりうる存在の選手であるといえよう。
[編集] 外部リンク
- サイクリング・ウェブサイト (英語)