ミマール・スィナン
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コジャ・ミマール・スィナン(現代トルコ語 : Koca Mimar Sinan, オスマン語 : قوجه معمار سنان آغا (Ḳoca Mi‘mār Sinān Āġā), 1489年4月15日? - 1588年7月17日(4月9日説あり))は、オスマン帝国の建築家。トルコ最高の建築家とされ、生涯で建築作品は477以上といわれる。彼の名に冠される「ミマール(ミーマール)」とは、「建築家」を意味する。
彼の作品は多岐にわたるが、特にモスクの建設において、大ドームを発展させるとともに、鉛筆型の細長いミナレットを特色とする、オスマン建築特有の様式を完成させたとされる。
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[編集] 経歴
スィナンは、アナトリア中部カイセリの近郊で、キリスト教徒の子として生まれた。生年については諸説あり、1489年とも、1494年とも、1497年とも、1499年とも言われる。
1512年頃、デヴシルメ制度によりオスマン帝国政府に徴用され、イスラム教に改宗してイェニチェリに入隊した。彼はイェニチェリの工兵隊に所属し、スレイマン1世(在位1520年 - 1566年)治世に行われた諸遠征に従軍し、遠征軍のための橋梁の建設に従事した。
1538年、スレイマンによって帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)に抜擢され、その後1588年にイスタンブルで没するまでの50年間、スレイマンからムラト3世までの3代にわたり、宮廷建築家として仕えた。
[編集] 作品
- シェフザーデ・モスク(1548年、イスタンブル)
- スレイマン1世とヒュッレム(ロクセラナ)の間の長男で、1543年に21歳の若さで早世したメフメト王子のために建設されたモスク。スィナン最初の大作とされ、後に建設される大型モスクの習作となった。
- スレイマニエ・モスク(1558年、イスタンブル)
- スレイマン1世のために建設されたモスク。アヤソフィアの構造に学び、高さ53mの大ドームを左右の半ドームで支えることにより広大な内部空間を実現した。また、モスク周辺の数多くの付属施設もスィナンの作品で、そこには彼自身の墓も含まれている。
- ルステム・パシャ・モスク(1563年、イスタンブル)
- スレイマンとヒュッレムの娘婿ルステム・パシャのために建てられたモスク。イズニク製のタイルをふんだんに使用した美しい内装で名高い。
- ブユックチェクメジェ橋(1567年、ブユックチェクメジェ)
- イスタンブル郊外の湖にかけられた橋。長さ635mの長大な石造橋。
- セリミエ・モスク(1575年、エディルネ)
- オスマン帝国の旧都エディルネに、セリム2世のために建設されたモスク。アヤソフィアに匹敵する直径31mの大ドームを有し、スィナン自身が自らの最高傑作と称したことで知られる。
- ソコルル・メフメト・パシャ橋(1576年、ヴィシェグラード)
- ボスニア・ヘルツェゴヴィナのドリナ川に架けられた橋。同地出身の大宰相、ソコルル・メフメト・パシャの注文により建設された。
[編集] スィナンを扱った作品
- 夢枕獏『シナン』上・下(中央公論新社)
[編集] 参考文献
- 鈴木董『図説イスタンブル歴史散歩』河出書房新社、1993年
- 長場紘『イスタンブル 歴史と現代の光と影』慶應義塾大学出版会、2005年
- ヤマンラール水野美奈子「スィナン」『岩波イスラーム辞典』岩波書店、2002年