マニュエル・ロザンタル
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マニュエル・ロザンタール(またはロザンタル ロゼンタル)(Manuel Rosenthal, 1904年6月18日 - 2003年6月5日)はフランスの指揮者・作曲家・音楽評論家。
パリに生まれ、パリ音楽院でモーリス・ラヴェルに作曲を学び、その後も親しい友人であり続けた。ラヴェルに関する評伝や言行録をいくつか残している。
指揮者としては、1928年にパドルー管弦楽団を指揮してデビュー。1935年から44年までフランス国立放送管弦楽団の副指揮者、1944年からは同管弦楽団の首席指揮者に就任し、47年までこの地位にあった。1948年からはアメリカに移り、シアトル交響楽団の音楽監督を1951年まで務めた。1962年、パリ音楽院の教授に就任。1964年から67年までリエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者となった。その後はパリを拠点に活動し、1981年にはメトロポリタン歌劇場に客演し、「カルメル派修道女の対話」や「マノン」を指揮している。
作曲家としては、室内楽からオペラまで手がけ新古典主義的な作品を遺したが、むしろ編曲家としての活動や、国際的な指揮者としての経歴によって有名で、とりわけオッフェンバック作品を編曲したバレエ音楽《パリの喜び》が名高い。この編曲も含めて、数々のフランス音楽を指揮した録音は、歴史的名盤として知られている。最晩年には、ナクソス・レーベルにもこの作品を録音した。
2003年6月5日、パリの自宅にて逝去。
[編集] 関連事項など
- 伊藤制子[訳]『ラヴェル―その素顔と音楽論』ISBN 4-393-93144-0
- HMV Japan - マニュエル・ロザンタール逝去 残された名盤の数々