マクシマ・ソレギエタ
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マクシマ・ソレギエタ・セルティ(Máxima Zorreguieta Cerruti, 1971年5月17日 - )はオランダ皇太子(オラニエ公)ヴィレム=アレクサンダーの妃。
[編集] 経歴
1971年、アルゼンチンの豊かな地主の家に生まれる。父ホルヘ・ソレギエタ(Jorge Zorreguieta)はビデラ(Jorge Rafael Videla)政権時代に農林大臣を務めた。1999年、ニューヨークで銀行に勤めていたマクシマは、友人主催のパーティーのあったセビーリャでヴィレム=アレクサンダー王子と知り合う。
2000年頃、2人の交際が公けになり、オランダ国内で大きな賛否を巻き起こす。マキシマの父ホルヘが、軍事独裁政権であったビデラ大統領政権の閣僚であったことが問題であった。無実の市民の大量虐殺を引き起こした政権の実力者の一人娘と、次期王位継承者との結婚を許していいものか、もし結婚を選ぶなら王位継承権を放棄すべきだ、との世論が巻き起こった。結局、ホルヘと彼女の生母が早くに離婚しているが明らかにされ、またホルヘは大量虐殺には一切関与していなかったとの結論が出された。
2001年1月31日の女王ベアトリクスの誕生日、女王夫妻と皇太子、そしてマキシマが並んで写された写真が公表され、女王と王配クラウスが2人の結婚に賛成の意志を示していることを公けに示した。
2002年5月に成婚。しかし、結婚の障害になりかけた妃の実父ホルヘは式に招かれなかった。式中、アストル・ピアソラの『さよならお父さん』が流れた時、彼女は両目から大粒の涙を流した。
2003年に長女カタリナ=アマリア王女が誕生、2005年には次女アレクシア王女が誕生している。2007年4月10日、第三子となるアリアーネ王女が誕生した。
2005年、マクシマは銀行で働いていた経験を生かし、国際連合の国際マイクロクレジット年におけるアドヴァイザーとなった。