ボリス・ゴドゥノフ
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ボリス・ゴドゥノフ(Бори́с Фёдорович Годуно́в / Boris Fyodorovich Godunov, 1552年 - 1605年4月13日)はモスクワ大公、ロシアのツァーリ(在位:1598年 - 1605年)。
[編集] 生涯と事績
14世紀にモスクワに移住したタタール系貴族の家に生まれる。イヴァン4世の信任を得て、イヴァンの子フョードル1世を補佐する摂政団の1人となり、皇帝の病弱と妹イリーナが妃であることを利用して実権を握った。ゴドゥノフの統治は賢明であり、ロシア国家にとってはオプリチニナに代表されるイヴァン4世の恐怖政治からの休息であった。士族出身のツァーリとして、農民の土地緊縛に関する法令(1586年、1597年、1600年、1601年)を出して農奴制の確立をうながし、士族の地位を強化しようとした。1586年にはシベリアの再征服、1589年にはコンスタンティノープルからのロシア正教会の独立を成し遂げた。
ゴドゥノフはフョードルの異母弟ドミートリー・イヴァノヴィチ(Dmitrii Ivanovich)を殺したと噂されたが、明白な証拠はない。有能な人物であったが猜疑心が強く、治世の末期にいたって亡きドミートリー皇子の僭称者があらわれたことによる混乱のうちに世を去った。彼の死は、ロシアにおける未曾有の大内戦(大動乱、Smuta)の始まりを意味した。
[編集] ボリス・ゴドゥノフを扱った作品
ボリス・ゴドゥノフの生涯を扱った作品としては、プーシキンの史劇『ボリス・ゴドゥノフ』、およびそれに基づくムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』が代表的である。
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