ベンジャミン・ディズレーリ
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イギリスの政治家 ベンジャミン・ディズレーリ Benjamin Disraeli |
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生年月日 | 1804年12月21日 |
出生地 | イングランド、ロンドン |
没年月日 | 1881年4月19日(満76歳没) |
死没地 | イングランド、メイフェア |
出身校 | |
前職 | 弁護士 |
現職 | |
所属政党 | 保守党 |
称号・勲章 | ビーコンズフィールド伯 |
世襲の有無 | |
親族(政治家) | |
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イギリスの首相 | |
内閣 | |
選挙区 | {{{選挙区}}} |
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就任日 | 1868年2月 |
退任日 | 1868年12月 |
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当選回数 | {{{当選回数2}}} |
就任日 | 1874年2月 |
退任日 | 1880年4月 |
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その他の職歴 | |
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初世ビーコンズフィールド伯ベンジャミン・ディズレーリ(英語:Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield.、1804年12月21日-1881年4月19日、首相:1868年、1874年 - 1880年)は、イギリスのヴィクトリア朝の政治家であり、宿敵ウィリアム・グラッドストンと共にヴィクトリア期のイギリス政党政治を牽引した。また、小説家としても活躍した。ちなみに、現在に至るまでイギリス首相となったユダヤ人はディズレーリのみである。
1876年に伯爵を授けられ、ビーコンズフィールド伯となった。なおビーコンズフィールド伯爵位は彼の死後は誰にも継承されず、廃絶した。
目次 |
[編集] 若年期
イタリア系セファルディム・ユダヤ人の文人・歴史家アイザック・ディズレーリ(Isaac D'Israeli)の長男として誕生。13歳の時に洗礼を受け、キリスト教徒となる。17歳の時、弁護士事務所での勤務を始めるが、程なくして退職。以後、株式投資や新聞事業に手を出して失敗を続けたが、1826年に発表した小説『ヴィヴィアン・グレイ(Vivian Grey)』が大きな反響を呼んだ。これをきっかけに、彼は小説家としての地歩を固めた。
[編集] 政治家として
1832年以来4度の選挙に出馬するが、いずれも落選。1837年に保守党(トーリー党)から議会に選出される。保守党ダービー内閣で3度蔵相を務め、その後、2度の首相も経験している。著名な事績としては、2度目の首相在任中に行った1875年にはスエズ運河(国際スエズ運河会社)の買収がある(株式の44%、17万株を取得)。なおこの買収に際して、英国政府はユダヤ人の大資本家ロスチャイルドから借金をしている。
1878年のベルリン会議では、ビスマルクの事実上の協力もあり、ロシアの南下政策を阻止することに成功した。なお当時のイギリスでは大英国主義と小英国主義の2つの考え方があったが、ディズレーリは大英国主義を主張した。小英国主義を主張した首相としては彼の前後に在任した自由党のグラッドストンがいる。
1880年にアフガニスタンでアフガン戦争が、また南アフリカで第1次ボーア戦争が勃発した。この相次ぐ反乱・戦争でイギリスは苦戦を強いられた。これによりディズレーリは求心力を失い、同年に行われた総選挙で敗北を喫し、責任を取って辞職。1881年に病死した。
[編集] エピソード
- 統計データの信憑性を皮肉った"There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics"(「世の中には3つの嘘がある。一つは嘘、次に大嘘。そして統計である」)の言葉が有名である。
- ヴィクトリア女王との信頼関係が、政権長期化に結びついたといわれる。女王はことあるごとに、自ら庭先で摘み取った桜草をディズレーリに贈った。首相は「他の何よりも勝る贈り物」として喜々と受け取るというしだいで、二人の仲は恋仲と誤解されんばかりであったという。
- 上記のサクラソウのエピソードから彼の命日は「桜草忌(サクラソウの命日)」と呼ばれる。
- 偉人の表と裏
政敵のグラッドストーンを筆頭に百万の政敵を向こうにし、議会で完膚なきまでに攻撃を受けても、眉一つ動かさなかったディズレーリが、「イギリス大宰相の印綬を帯びるためにビクトリア女王の前に出た時の光景は、目をどこにやったらいいか、手をどこにおいたらいいか、足をどうしたらいいかわからずに、あたかもトウダンスをするような格好になった」と、非常にあわてふためいたものであったという。ビクトリア女王の侍従が書いた「偉人の裏表」による。
[編集] 脚注
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