フォークランド沖海戦
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フォークランド沖海戦 | |
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戦争:第一次世界大戦 | |
年月日:1914年12月8日 | |
場所:フォークランド諸島沖 | |
結果:イギリスの勝利 | |
交戦勢力 | |
ドイツ | イギリス |
指揮官 | |
マクシミリアン・フォン・シュペー中将 | ダブトン・スターディー中将 |
戦力 | |
装甲巡洋艦2、軽巡洋艦3 | 巡洋戦艦2、装甲巡洋艦3、軽巡洋艦1 |
損害 | |
装甲巡洋艦2、軽巡洋艦2沈没 | 沈没艦なし |
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フォークランド沖海戦(Battle of the Falkland Islands)は第一次世界大戦中にアルゼンチン近くの英領フォークランド諸島沖でドイツ海軍とイギリス海軍が戦った海戦。
コロネル沖海戦で敗北したイギリス海軍は、スターディー中将を南大西洋・太平洋方面艦隊司令長官に任じ、巡戦インヴィンシブル、インフレキシブルがその指揮下に入った。
1914年11月11日、両艦は出港し、装甲巡カーナヴォン、コーンウォール、ケント、軽巡ブリストル、グラスゴー、仮装巡マセドニアと合流しつつ、12月7日にフォークランド諸島ポート・スタンリーに到着した。
一方、シュペー中将指揮するドイツ東洋艦隊(de)はコロネル沖海戦後約1ヶ月の間行動を起こさなかった。12月近くになり、シュペー中将は大西洋に入り、フォークランド諸島を襲撃することにした。
12月8日、フォークランド諸島の見張所が接近する装甲巡グナイゼナウ、軽巡ニュルンベルクを発見した。これを受けて8時30分にカーナヴォンとケントがまず出港した。9時15分には戦艦カノーパスが砲撃を開始し、ドイツ間2隻は反転した。シュペー中将は艦隊をまとめ逃走に入った。
10時には故障したブリストル以外が出港し、シュペー艦隊を追撃した。12時55分、インフレキシブルが軽巡ライプツィヒに対し砲撃を開始した。シュペー中将は軽巡3隻を逃がすため13時25分に分離した。スターディー中将はこれを巡洋艦に追撃させ、ドイツの装甲巡2隻に、巡戦2隻で対した。
装甲巡と巡戦では圧倒的に巡戦が優勢であり、16時17分に装甲巡シャルンホルストは撃沈されシュペー中将も戦死した。グナイゼナウも17時40分に沈没した。
イギリスの巡洋艦はドイツの軽巡を追撃し、16時15分にグラスゴーとコーンウォールはライプチヒを捕捉した。ライプチヒは20時35分に撃沈された。また、ニュルンベルクもケントの攻撃で撃沈された。唯一、軽巡ドレスデンだけは逃走に成功したが、1915年3月14日にチリ沖で撃沈された。
[編集] 文献
- エドウィン・ホイト(著)、実松譲(訳)、『壊滅:シュペー艦隊の最後(原題:Kreuzerkrieg)』、フジ出版社、1969年