パテーの戦い
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パテーの戦い | |
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イングランド軍を鎮圧するフランス軍 |
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戦争:百年戦争 | |
年月日:1429年6月18日 | |
場所:パテー | |
結果:フランスの圧勝 | |
交戦勢力 | |
イングランド王国 | フランス王国 |
指揮官 | |
ジョン・ファストルフ シュローズベリー伯 トーマス・スケールズ |
ジャンヌ・ダルク ラ・イル ジャン・ポトン・ド・ザントライユ |
戦力 | |
5000人 | 騎兵 1500騎 |
損害 | |
戦死者、負傷者、捕虜 2500人 |
約100人 |
パテーの戦い(Battle of Patay 1429年6月18日)は北フランス中部のパテーで行われた百年戦争の主要な戦闘。この戦いが戦争の流れを変え、劣勢だったフランスは攻勢に転じた。
目次 |
[編集] 背景
ジャンヌ・ダルク率いるフランス軍は、オルレアンの包囲を解いた後もロワール河流域で小規模な戦いを展開した(ジャルジョーの戦い、ボージャンシーの戦い、モン=シュル=ロワールの戦い等)。1429年6月18日、両軍はパテー近郊で衝突した。
[編集] 経過
イングランド軍の指揮官はジョン・ファストルフとシュルーズベリー伯ジョン・タルボットだった。彼等に率いられた長弓部隊は数多くのフランス軍の兵士を苦しめた。しかし長弓部隊の準備には時間がかかった。その為、彼等はラ・イルとジャン・ポトン・ド・ザントライユの率いるフランス軍の前衛部隊に準備の隙を衝かれて襲撃された。その結果、フランス軍の主力部隊が到着する前に勝敗は決した。
[編集] 影響
ジョン・タルボットはフランス軍の捕虜となり、ファストルフは僅かな部隊と共に敗走した。その為ファストルフはベッドフォード公ジョンにガーター勲章を剥奪された。
この戦闘を最後に、フランス軍のロワール河流域における軍事行動は終了し、彼等はライン河以北へと行軍した。その後、フランス軍はランスに到達し、シャルル7世の戴冠は実現されるのである。