バラージュ・ベーラ
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バラージュ・ベーラ(Balázs Béla、1884年8月4日 – 1949年5月17日)は、ハンガリーの映画評論家、美学者、作家、詩人。
本名バウエル・ヘルベルト(Bauer Herbert)としてセゲドのユダヤ人の家庭に生まれる。1912年、アビトゥーアに合格。パイプ清掃のアルバイトをしながら、大学でマジャル語とドイツ語を専攻。映画に関する最初の著作集Der Sichtbare Mensch(『視覚的人間』; 1924年)は、ドイツで「言語としての映画」理論が成立する契機となった。エイゼンシュテインやプドフキンもまた、この著作に影響を受けた。
のちに彼はレニ・リーフェンシュタールの最初の映画Das Blaue Licht(『青い光』; 1932年)の脚本を書き、リーフェンシュタールを直接補佐した。
映画としての代表作の一つにSomewhere in Europe(『ヨーロッパのどこかで』; 1947年。米国では1949年にIt happened in Europe『それはヨーロッパで起きた』という題名で公開)がある。
また、彼の幻想的戯曲は『かかし王子』『青髭公の城』として、友人バルトーク・ベーラにより、それぞれバレエとオペラに作曲されている。ルカーチ・ジェルジとも親しかった。
1949年、ハンガリー最高の栄誉であるコッシュート賞を受賞。ブダペストで死去。1958年には、映画芸術関連の業績を対象として、彼にちなんでバラージュ賞が設立された。