トカレフM1940半自動小銃
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正式名称 | トカレフM1940半自動小銃 | |
全長 | 122.2cm | |
銃身長 | 62.5cm | |
重量 | 3.89kg | |
口径 | 7.62mmx54R | |
装弾数 | 10発(箱型弾倉) | |
発射速度 | 830m/sec | |
製造国 | 旧ソ連 | |
製造 | 不明 |
トカレフM1940半自動小銃(とかれふM1940はんじどうしょうじゅう)は第二次世界大戦に旧ソ連で開発された半自動小銃である。
目次 |
[編集] 開発経緯
以前までソビエト軍が使用していた狙撃銃としては、モシン・ナガン狙撃銃が上げられるが、機関部がボルトアクション形式だった為に連続狙撃が出来なかった。1930年代に入り各国の軍隊では次世代小銃として半自動小銃の開発を進めていた。ソ連の銃技師フョードル・トカレフは、このスコープから目を離さず連続狙撃が可能である半自動小銃の研究を1920年代末頃から始めた。(半自動小銃の構造についてはここのリンクを参照)そして1932年、試作型の半自動小銃が完成した。しかし機関部の不具合からこの試作銃は制式採用されることはなかった。新型小銃の試作に失敗したF.V.トカレフは、この試作銃にさらに改良を重ね、1938年にトカレフM1938半自動小銃を開発した。別名、SVT-38(Samozariadniya Vintovka Tokareva:トカレフ式自動装填小銃の略)とも呼ばれた本銃は機関部はガス圧作動式を採用、使用する弾丸は以前から小銃に使用されてきたリム付き7.62mm×54Rが併用できた。しかし当時のソビエト軍では使用する弾薬に粗悪品が多かったため発射圧でふくらんだ空薬莢がチェンバー(薬室)に貼り付くことがたびたびあった。そこでチェンバー内に細かな溝が刻むことで空薬莢がチェンバーに張り付くのを防いだ。
[編集] トカレフM1940半自動小銃の登場
トカレフM1938半自動小銃の開発に成功したが、以前から使用されていた弾薬はトカレフが採用した装弾方法に合わなかった。そのため給弾不良をよく引き起こし、また軽量化を目指したため構造強度が低く耐久性も劣っていた。そこでF.V.トカレフはこれらの欠点を若干克服したトカレフM1940半自動小銃(別名:SVT-40)を開発した。試作と改良を重ねたトカレフM1940半自動小銃だが、M1938からの欠点を完全に克服したわけではなかった。また新たに寒冷地では発射薬の燃焼力低下による不発や、給弾不良も引き起こした。さらにスコープの固定金具に不具合が多発し、正確な射撃ができないという苦情も相次いだ。
[編集] 長所・短所
- 長所
- 給弾方式がオートなため、連射が可能だった
- 弾薬は以前から使用されていた小銃と併用が可能
- 軽量化による重量軽減
- 短所
- 寒冷地での発射薬の不発
- 給弾不良の多発
[編集] その後
M1938の欠点を改善するべく開発されたM1940であったが最後まで改善することが出来なかった。またM1940をフルオートライフルへの改造が行われたが失敗。前線の兵士は結局既存の改良型モシン・ナガンM1891/30を使用するようになってしまった。結局、不具合が相次いだM1940は1944年頃に入り生産は打ち切られてしまった。
世間から見れば失敗作に近いM1940だが作動方式や機構などは当時には無いものであった。そこでドイツ軍は戦地で鹵獲したM1940を自軍の自動小銃開発の参考にしたともいう。
[編集] トカレフM1940半自動小銃の登場するメディア作品
- メダル・オブ・オナー アライドアサルト リロード(WINDOWS用ゲーム)
- Red Orchestra: Ostfront 41-45(Windows用ゲーム)