ダリル・ホール&ジョン・オーツ
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ダリル・ホール&ジョン・オーツ (Daryl Hall & John Oates) は、アメリカのポップス・デュオである。ダリル・ホールと、ジョン・オーツの2人で構成される。1972年にデビュー。1970年代中盤にブレイクを果たすが、その後は低迷する。しかし1980年代に入ると、R&Bやソウルのテイストを取り入れたポップスで人気を博した。いわゆるブルー・アイド・ソウルと呼ばれるジャンルのアーティストの一つである。1985年に行なわれたライヴエイドに出演。元テンプテーションズのエディ・ケンドリックス、デヴィッド・ラフィンと共演している。その後、1991年に解散したが、1995年に再結成を果たし、現在も精力的に活動を続けている。
日本ではホール・アンド・オーツの略称でも知られる。
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[編集] メンバー
ダリル・ホール( DARYL HALL 、1948年10月11日 - )
- 本名はダリル・フランクリン・ホール( Daryl Franklin Hohl )。長い間、公私共にサラ・アレンと暮らしていたが別れた。
- ペンシルバニア州モンゴメリー・カウンティ生まれ、ボーカル、キーボード担当。
- ドイツ系、ペンシルバニア・ダッチの血も受け継ぐ。
- 子供の頃は読書好きで空想好き、スポーツが苦手な少年だった。
- 1965年、テンプル大学に入学するためフィラデルフィアに。ここでジョン・オーツと知り合う。
- 1987年には桑田佳祐のソロデビューシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」のc/w「LADY LUCK」にコーラスで参加した。
- さらに桑田の2ndシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」のc/w「SHE'S A BIG TEASER」にはユニットとして参加。
ジョン・オーツとともに桑田との共同レコーディングを行った。 - 1994 FIFAワールドカップの公式テーマ曲を歌った。
- 2005年、野生動物等に寄生するダニから感染するライム病により一時ライブをキャンセルするなどしたが、現在では完治した模様。
ジョン・オーツ( JOHN OATES 、1949年4月7日 - )
- 本名はジョン・ウィリアム・オーツ( John William Oates )。80年代に結婚、その後離婚したが現在では再婚して一児(息子コナー)をもうけ、コロラド州アスペンで生活している。
- ニューヨーク生まれ、ボーカル、ギター担当。
- 父方の祖父はイギリス人、祖母はスペイン人とモロッコ人の血を引くムーア人。母方の祖父母はイタリア人。
- 中学・高校時代からバンドを結成して活動。
- スポーツは万能で、テンプル大学にはレスリングで奨学金を得て入学。
[編集] 代表曲
[編集] ダリル・ホール&ジョン・オーツ
- Sara Smile:サラ・スマイル(1976年再発売、全米第4位)
- She's Gone:シーズ・ゴーン(追憶のメロディ)(1976年、全米第6位)
- Rich Girl:リッチ・ガール(1977年3月26日付~4月2日付、2週連続全米No.1)
- Kiss On My List:キッス・オン・マイ・リスト(1981年4月11日付~4月25日付、3週連続全米No.1、同年年間第7位。様々なコンピレーションCDに収録される際、ラヴソングとして扱われる事が多い。ところが実際はアンチ・ラヴソングである。ダリル・ホール自身、「君のキスは最高に素敵な物の一つとしてリストに載っているけど、唯一無二ではない。そういう歌だからね。みんなは『君を愛している。君がいなければ僕は死んでしまう』という内容の歌だと思っているけど、本当はその正反対なのさ」と語っている。)
- You Make My Dreams:ユー・メイク・マイ・ドリームス(1981年、全米第5位)
- Everytime You Go Away:エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ(1981年、アルバム・モダン・ヴォイスに収録。1985年にイギリスの歌手、ポール・ヤングがカバーし、同年7月27日付のチャートで全米No.1を獲得している。)
- Private Eyes:プライベート・アイズ(1981年11月7日付~11月14日付、2週連続全米No.1)
- I Can't Go For That (No Can Do):アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット(1982年1月30日付、全米No.1。オリビア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」(1980年代、アメリカで最も売れたシングル)の連続No.1を10週で止めたが、これによりフォリナーの名曲「ガール・ライク・ユー」が10週連続全米第2位に泣かされる事になった。なお、「フィジカル」の前にNo.1だった曲は Private Eyes 。)
- Did It In A Minute:ディド・イット・イン・ア・ミニット(1982年、全米第9位)
- Maneater:マンイーター(1982年12月18日付~1983年1月8日付、4週連続全米No.1、1983年年間第7位)
- One On One:ワン・オン・ワン(1983年、全米第7位)
- Family Man:ファミリー・マン(1983年、全米第6位)
- Say It Isn't So:セイ・イット・イズント・ソー(1983年12月17日付~1984年1月7日付、4週連続全米第2位。ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソンの「 SAY,SAY,SAY 」に全米No.1を阻まれた。)
- Adult Education:アダルト・エデュケイション(1984年、全米第8位)
- Out Of Touch:アウト・オブ・タッチ(1984年12月8日付~12月15日付、2週連続全米No.1、1985年年間第6位。現在の所、2人にとって最後の全米No.1)
- Method Of Modern Love:メソッド・オブ・モダン・オブ・ラヴ(1985年、全米第5位)
- Everything Your Heart Desires:エヴリシング・ユア・ハート・デザイアーズ:(1988年、全米第3位。現在、2人にとって最後のビルボード・ポップチャートTOP10ランクイン楽曲)
[編集] ダリル・ホール
注。チャート順位は全てビルボードを参照しています。
[編集] ディスコグラフィ(アルバム)
[編集] ダリル・ホール&ジョン・オーツ
- 『Whole Oats』:ホール・オーツ(1972年、whole Oatsとは、未精白のカラスムギ)
- 『Abandoned Luncheonette』:アバンダンド・ランチョネット(1973年)
- 『War Babies』:ウォー・ベイビーズ(1974年)
- 『Daryl Hall & John Oates』:サラ・スマイル(1975年)
- 『NO GOODBYES』:サヨナラはいわないで(1976年)
- 『Bigger Than Both Of Us』:ロックン・ソウル(1976年)
- 『Beginning』:ビギニングス(1976年)
- 『Beauty On A Back Street』:裏通りの魔女(1977年)
- 『Live time』:ライブタイム(1978年、全米第42位)
- 『Along The Red Ledge』:赤い断層(1978年、全米第27位)
- 『X-Static』:モダン・ポップ(1979年、全米第33位)
- 『Voices』:モダン・ヴォイス(1980年、全米第17位。1981年年間第8位。初のセルフプロデュース&ミリオンセラーアルバム。)
- 『Private Eyes』:プライベート・アイズ(1981年、全米第5位。初のプラチナ・ディスク)
- 『H2O』:H2O(1982年、1983年1月15日付~4月16日付、15週連続全米3位、同年年間第4位、プラチナ・アルバム。この二人にとって最大の売り上げを記録したアルバムである。)
- 『Rock'n Soul Part1』:フロム・A・トゥ・ONE(1983年、全米第7位)
- 『Big Bam Boom』:ビッグ・バン・ブーム(1984年、全米第5位)
- 『Live At The Apollo』:ライヴ・アット・ジ・アポロ(1985年。この中で、ボブ・クリアマウンテン、元テンプテーションズのデヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックスと共演を果たしている。)
- 『Ooh Yeah!』:OohYeah!(1988年)
- 『Change Of Season』:チェンジ・オブ・シーズン(1990年)
- 『Marigold Sky』:マリゴールド・スカイ(1997年)
- 『Do It For Love』:ドゥ・イット・フォー・ラヴ(2003年タイトル曲がビルボード・アダルトコンテンポラリーチャートで一位に。)
- 『Our Kind Of Soul』(アワ・カインド・オブ・ソウル)2004年(全米第63位)
- 『Ultimate Daryl Hall & John Oates』(アルティメット・ダリル・ホール&ジョン・オーツ)2004年(全米第69位)
- 『Home For Christmas』(ホーム・フォー・クリスマス)2006年
[編集] ダリル・ホール
- 『Sacred Songs』:セイクレッド・ソングス(1980年)
- 『Three Hearts In The Happy Ending Machine』:ドリームタイム(1986年)
- 『Soul Alone』:ソウル・アローン(1994年)
- 『Can't Stop Dreaming』:キャント・ストップ・ドリーミング(1996年)
[編集] ガリバー(ダリル・ホールが、かつて所属していたバンド)
- 『Gulliver』:ガリバー(1998年)
[編集] テンプトーンズ(ダリル・ホールが、かつて所属していたバンド)
- 『The Temptones』:テンプトーンズ(1996年)
[編集] ジョン・オーツ
- 『Phunk Shui』:ファンク・シュウェイ(2002年)
注。チャート順位は全てビルボードを参照しています。
[編集] 日本公演
- 2月12日 福岡国際センター、13日 大阪厚生年金会館、15日 宮城県スポーツセンター、16日,17日 日本武道館、18日 横浜文化体育館、20日 愛知県体育館、21日 日本武道館、23日 大阪城ホール、24日 日本武道館
- 10月13日 静岡産業館、14日 東京ドーム、16日 福岡国際センター、18日 広島サンプラザ、20日 大阪城ホール、21日 名古屋レインボーホール、24日 大阪城ホール、26日,27日 横浜文化体育館
- 1990年 KIRIN DRY GIGS 1990 with The Doobie Brothers, Boz Scaggs(7/15), Shella E, Johnny Gill
- 10月8日 神奈川県民ホール、9日 NHKホール、10日 国立代々木競技場第一体育館、12日 仙台サンプラザ、14日 大阪フェスティバルホール、15日 名古屋市公会堂、18日 尼崎アルカイックホール、19日 福岡サンパレス、21日 大阪厚生年金会館、22日 大宮ソニックシティ
- 2月18日 NHKホール、19日 渋谷公会堂、21日 東京厚生年金会館、22日 宮城県民会館、24日 名古屋クラブクアトロ、25日 心斎橋クラブクアトロ、27日,28日 大阪フェスティバルホール、3月1日 愛知厚生年金会館、3日 横浜文化体育館、4日 渋谷クラブクアトロ
- 11月30日 名古屋クラブクアトロ、12月1日 心斎橋クラブクアトロ、3日 渋谷クラブクアトロ、4日 日本武道館、6日 名古屋市公会堂、7日 アクトシティ浜松大ホール、8日 岡山市民会館、10日 鳥取県民文化会館、12日 福岡サンパレス、13日 大阪府立体育会館、15日 北海道厚生年金会館、17日 郡山市民文化センター、19日 仙台サンプラザ、20日 横浜文化体育館
- 5月21日 仙台サンプラザ、22日 岩手県民会館、24日,25日,28日,29日 東京国際フォーラムホールA、31日 福岡市民会館、6月1日,2日 大阪厚生年金会館、4日 名古屋市民会館、5日 パシフィコ横浜国立大ホール
- 3月4日 神奈川県民ホール、6日 北海道厚生年金会館、8日 仙台イズミティ21、10日 石川厚生年金会館、11日 広島郵便貯金ホール、12日 メルパルクホール福岡、14日,15日 大阪厚生年金会館、17日 名古屋市民会館、19日,20日 東京国際フォーラムホールA、21日 渋谷公会堂(日本通算100公演目)
[編集] 関連項目
- トッド・ラングレン
- マーヴィン・ゲイ - ダイアナ・ロスとのデュエット曲『You Are Everything(ユー・アー・エヴリシング)』をカバーした。
- ザ・テンプトーンズ
- 桑田佳祐
- ラフ&レディ - ホール・アンド・オーツを手本にしたという。
[編集] 参考文献
- 『ホール&オーツ ロックン・ソウルを求めて』著:林洋子 シンコー・ミュージック 1984年初版 ISBN 4-401-61153-5