ストア派
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ストア派(ストアは)はヘレニズム時代に成立した哲学。この派にちなむストイック(stoic)という言葉が示すように、禁欲的な思想と態度によって知られる。アカデメイア、リュケイオン、エピクロスの園と並んで四大学派とされていた。ストア派なる名は、ゼノンがアテナイの彩色柱廊(ストア・ポイキレ)で教授していたことにちなむと言われている。
とくに古代ローマの共和制末期からキリスト教を認める前までの帝政期における影響は非常に大きい。
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[編集] 概要
アテナイでゼノンによって開かれたギリシャ哲学の一派である。同時期に起こったエピクロス派とは思想的には相反するとされるが、後期においてはかなり近い印象を受ける[要出典]。犬儒学派から発展的に新たに作られた哲学学派なので、犬儒学派とは思想についてもその性格態度についても似ている点が多い。
しかしながらローマ時代に入ると、ストア派は人間本性よりも貴族の優先されるべき生活様式といった意味合いのものに変貌し、本来のギリシア・ストア派思想とは異なるものとなった。
[編集] 共通した思想上の特徴
それぞれの考え方は互いに密接に関係している。
ストア派の思想については現存資料が後期に偏っているため、前期・中期の思想は明確にはわからない。したがっていくつかの断片的資料や、後期でも最も前期に近いとされるキケロ、エピクテトスの思想から推測するしかない。
[編集] 徳の実践を第一
自分達が善い生き方であると考えた生き方について実践することを要求する。堕落した生活は魂までをも堕落させると考える。ソクラテスの「ただ生きるのではなく、より善く、いきる」につながる考え方だと思われる。
[編集] 感情からの解放(理性主義)
あらゆる感情から解放された状態を魂の安定とし、最善の状態として希求する。当然、死に際しての恐怖や不安も克服の対象と考える。その理想としてよくソクラテスの最期が挙げられる。怒らず、悲しまず、ただ当然のこととして現実を受け入れ行動することを理想とする。
[編集] 命への非執着
自己の命をあっさりと扱うが、人間それぞれの究極的、最終的な自由意志を全面的に尊重しているが、決して他者に対しての殺人は肯定しない。ただし当時の他の哲学と同様に敵に対して勇猛に戦うことは善とされた。(当時の世相を反映し解釈すれば至って当然)このような考え方は「魂は神から借りているだけ」という言葉に端的に表されている。(人は最終的に神からの分け御霊であるということを主張)
さらに善悪無記(アディアポラ)の思想に立てば、命は善ではなく、「望ましいもの(プロエーグメノン)」でしかないため、状況如何(四肢の切断や非常な老齢など)によっては自殺も肯定した。
[編集] 運命の肯定と自由意志の肯定
これにより人は運命を受け入れる「覚悟」が必要であることを悟る。しかし、不完全な運命を補正する自由意志により運命さえも自己の意識によって良き方向へと革新できると主張。
[編集] 善悪の超越
つまり、究極的には世俗的善悪も人間の判断が生み出した幻想に過ぎない。
[編集] 人為からの脱却
ストア派の実質的始祖であるディオゲネスは世に氾濫する律法や道徳を嗤った人間である。その流れを汲むストア派も社会風俗(ノモス)を受け入れる立場を取りながらも、実質的には否定したと思われる。
[編集] 主要人物
以下が代表的人物である。なお、キケロは通常はストア派には含めないが、彼の思想は彼の師や彼の生きた時代から影響を受けてストア的である。彼の著作は彼自身の思想でないが、ストア派の思想を知る上で参考になる。
[編集] 前期
[編集] 中期
- パナイティオス
- ポセイドニオス
[編集] 後期
[編集] 主な著作
- マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』
[編集] 外部リンク
- (百科事典)「Stoicism」 - スタンフォード哲学百科事典にある「ストア派」についての項目。(英語)