ジョージ・アルトマン
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ジョージ・アルトマン(George Altman、1933年3月22日 - )はアメリカノースカロライナ州出身で、日本で活躍した元プロ野球選手。「足長おじさん」の愛称で親しまれた。外野手。
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[編集] 来歴・人物
大リーグでは、シカゴ・カブス、セントルイス・カージナルス、ニューヨーク・メッツに所属し991試合に出場。メッツ時代はアーニー・バンクスの後の5番を打ち、記録の援護をした選手として知られ、大リーグ通算101の本塁打を記録する大砲であった。 1968年に東京オリオンズに入団。1年目に打率.320 34本塁打 100打点の好成績を上げチームの勝利に貢献。打点王とベストナイン(外野手)に輝いた。
翌1969年にチームはロッテオリオンズに代わり、1974年には6試合連続本塁打のリーグ記録を樹立。1974年まで常に20本塁打以上を放ちチームの主砲として貢献した。1970年・1971年には2年連続ベストナインに輝いた。1974年に、試合中に倒れ試合途中で交代。その時に、初期の大腸癌が発見され、オリオンズは本人の健康状態を考え解雇。 しかし1975年には1年間阪神タイガースにテスト入団しプレーして帰国。日本のプロ野球に在籍した外国人選手で初めて200本塁打を達成した。勝負強いアルトマンが5番に入ることで、敬遠されることが少なくなった4番の田淵幸一はこの年、王を破って本塁打王になった。
通算本塁打205本は当時(1975年シーズン終了時)の外国人最多。この記録は翌年にクラレンス・ジョーンズに破られる(後にレロン・リーが記録を更新)が、アルトマンが帰国の際、見送りに来てくれたジョーンズに「俺の記録は君が一日でも早く破ってくれ」と依願している。
敬虔なるキリスト教徒として知られ、酒・タバコなどの嗜好品は嗜まず日曜、祝日にはデイゲームがあろうと教会へ礼拝を怠らなかった。また東京スタジアムにアルトマン・シートを設けファンを招待し足長おじさんとして知られる。
[編集] 年度別打撃成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968年 | 東京 ロッテ |
7 | 139 | 531 | 84 | 170 | 33 | 1 | 34 | 307 | 100 | 8 | 0 | 7 | 48 | 80 | .320(2) |
1969年 | 129 | 457 | 65 | 123 | 25 | 2 | 21 | 215 | 82 | 9 | 0 | 7 | 36 | 64 | .269(18) | ||
1970年 | 122 | 426 | 66 | 136 | 19 | 1 | 30 | 247 | 77 | 3 | 1 | 5 | 49 | 50 | .319(3) | ||
1971年 | 114 | 388 | 56 | 124 | 15 | 2 | 39 | 260 | 103 | 2 | 1 | 6 | 40 | 53 | .320(3) | ||
1972年 | 112 | 384 | 46 | 126 | 27 | 1 | 21 | 218 | 90 | 4 | 0 | 7 | 58 | 29 | .328(2) | ||
1973年 | 120 | 365 | 54 | 112 | 17 | 1 | 27 | 212 | 80 | 4 | 1 | 3 | 64 | 30 | .307(7) | ||
1974年 | 85 | 271 | 48 | 95 | 15 | 2 | 21 | 177 | 67 | 1 | 1 | 6 | 49 | 17 | .351 | ||
1975年 | 阪神 | 44 | 114 | 361 | 33 | 99 | 12 | 1 | 12 | 149 | 57 | 0 | 0 | 4 | 32 | 37 | .274 |
通算成績 | 935 | 3183 | 452 | 985 | 163 | 11 | 205 | 1785 | 656 | 31 | 4 | 45 | 376 | 360 | .309 |
[編集] タイトル・表彰
- 打点王:1回 (1968年)
- ベストナイン:3回 (1968年、1970年、1971年)
- 6試合連続本塁打(1974年6月13日~6月23日)
- オールスターゲーム出場:4回 (1970年、1971年、1973年、1974年)
[編集] 関連項目
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