シリル・スーク
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シリル・スーク |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Cyril Suk |
国籍 | チェコ |
出身地 | 同・プラハ |
生年月日 | 1967年1月29日 |
身長 | 180cm |
体重 | 80kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1988年 |
ツアー通算 | 32勝 |
シングルス | 0勝 |
ダブルス | 32勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 1回戦(1989・90) |
全仏 | シングルス出場なし |
全英 | シングルス出場なし |
全米 | シングルス出場なし |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 180位 |
ダブルス | 7位 |
Template |
シリル・スーク3世(Cyril Suk III, 1967年1月29日 - )は、旧チェコスロバキア(現チェコ)・プラハ出身の男子プロテニス選手。長年にわたり、ダブルスのスペシャリストとして活動してきた。彼の家族は名門のテニス一家で、母親は1962年ウィンブルドン選手権女子シングルス準優勝者ベラ・スコバであり、姉は4大大会女子シングルスで4度準優勝したヘレナ・スコバである。父親のシリル・スーク2世は長年「チェコスロバキア・テニス連盟」の会長を務めた人で、シリルとベラの間の1人息子にも同じ名前をつけた。
シリルはキャリアを通じてシングルスにほとんど出場せず、ダブルスのみに出場試合を絞ってきた。ATPツアーのトーナメントでは、シリルのシングルス成績は1勝17敗である。男子ダブルスではこれまでにツアー通算32勝を挙げ、1998年全米オープンでサンドン・ストール(オーストラリア)とペアを組んで優勝した。混合ダブルスでは5つのタイトルを獲得し、全仏オープンで1991年、ウィンブルドンで1992年・1996年・1997年、全米オープンで1993年に優勝している。そのうち4つは姉のヘレナとのコンビだが、1992年ウィンブルドンだけはラリサ・サブチェンコ・ネーランド(ラトビア)と組んだ。
シリルは姉のヘレナとともに、幼少時から両親にテニスを習った。母親のベラが1982年5月13日に死去した時、シリルは15歳、ヘレナは17歳であった。母親の死から3年後、シリルは1985年の世界ジュニア・ダブルス選手権でペトル・コルダと組んで優勝する。1988年にプロ入りし、1989年8月にイタリア・セントビンセント大会でダブルス初優勝。1991年全仏オープンで、シリルとヘレナは姉弟ペアとして4大大会混合ダブルス初優勝を果たした。1992年はウィンブルドンの混合ダブルスでラリサ・サブチェンコ・ネーランドと組んだ優勝があるが、これはシリルがヘレナ以外の選手と組んで獲得した唯一の混合ダブルス優勝である。1993年全米オープンでは、ヘレナが女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門で決勝に進出した。ヘレナはシリルとの混合ダブルスと、アランチャ・サンチェスと組んだ女子ダブルスの2部門で優勝したが、女子シングルス決勝ではシュテフィ・グラフに敗れ、4大大会女子シングルスで4度目の準優勝に終わる。男子ツアーでは、シリル・スークは1991年から1994年までの間、トム・ナイスン(オランダ)とペアを組んで大半のトーナメントに出場した。
1995年、スークは同じチェコのダニエル・バチェクと組んで男子ツアーのダブルス大会に4勝を挙げたが、1996年2月を最後にバチェクとのペアを解消する。1996年と1997年の2年連続で、シリルとヘレナの姉弟はウィンブルドンの混合ダブルスで2連覇を達成した。シリルは1992年にサブチェンコ・ネーランドと組んだ優勝と合わせて、ウィンブルドン混合ダブルスで総計3勝を挙げたことになる。1997年からは、男子ツアーでサンドン・ストールと組む機会が増えた。サンドンは往年のオーストラリアの名選手、フレッド・ストールの息子である。スークとストールの“親子2代選手ペア”は、1998年全米オープンで宿願の4大大会男子ダブルス初優勝を達成した。2人は全米ダブルス決勝でダニエル・ネスター(カナダ)&マーク・ノールズ(バハマ)組に 4-6, 7-6, 6-2 の逆転勝利を収め、ようやく初めての頂点をつかむ。しかし、この勝利がスークとストールの両選手にとって唯一の4大大会男子ダブルス優勝になった。
2002年から2004年にかけて、シリル・スークは3年連続で男子ツアーのダブルスで年間3勝を挙げた。パートナーは同じチェコのマルティン・ダムと組み、とりわけ6月のオランダ・ハートゲンボッシュ大会ではこのペアで3連覇を達成している。スークとダムは2004年アテネ五輪の男子ダブルスにもチェコ代表選手として参加し、スークは37歳にして初のオリンピック出場を果たした。2005年のハートゲンボッシュ大会ダブルス4連覇が、現時点での最後のダブルス優勝になっている(32勝目)。40歳を迎えた2007年、彼の試合出場数は少なくなったが、スークは現役生活を続行している。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全仏オープン 混合ダブルス:1勝(1991年)
- ウィンブルドン 混合ダブルス:3勝(1992年、1996年、1997年)
- 全米オープン 男子ダブルス:1勝(1998年)/混合ダブルス:1勝(1993年)