グレアム・オブリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グレアム・オブリー(Graeme Obree、1965年9月11日 - )はイギリスのウォリックシャー出身の自転車選手。トラックレースに特化した選手で、特に自作の自転車で自転車選手最大の栄誉のひとつとされるアワーレコードの樹立を果たした事で有名。スコットランドで育ったために『フライング・スコッツマン(Flying Scotsman)』と呼ばれた。
オブリーは過去に2度アワーレコードの記録を更新したほか(1993年7月17日:51.596km、1994年4月27日:52.713km)、1993年と1995年に世界選手権自転車競技大会の男子個人追抜競走で優勝している。
[編集] オールド・フェイスフル
彼の自転車は自作であり、非常に独創的な形をしている。フロントフォークは片側のみ、フレームにはチューブが一本だけあり、通常のホリゾンタルフレームでは水平にあるはずのチェーンステイが斜め45度の角度上方から後輪とつながっている。またハンドルの位置は通常より非常に近く、一見すると操縦しづらい奇妙な形状である。しかし全てが空気抵抗を軽減する工夫のために考案されたものであり、例えばトップチューブとダウンチューブを兼ねた一本だけのフレーム前面(前三角)と独特のチェーンステイ、シートステイ(後三角)を持つフレーム形状により極端に狭いボトムブラケット幅でもフレームにより両足のペダリングが妨げられず、また通常より極端に近いハンドル位置は両腕を曲げてハンドルの上に上体の全荷重をかけて伏せるような姿勢(『タック・ポジション』『オブリー・ポジション・マーク・ワン』と呼ばれた)を可能にした。自転車で高速走行をする上で最大の障壁は空気抵抗であり、このタック・ポジションは空気抵抗の軽減に非常に効果があった。
またこの自転車に使われた材料も非常にユニークで、独特な形状のフレームとハンドルは子供用の自転車をもとに自宅のガレージで溶接を施して作られたほか、ベアリングには廃材で棄てられていた洗濯機の部品まで使われていた。この独創的な自転車を彼は『オールド・フェイスフル[1]』と名づけていたが、これでフランチェスコ・モゼール以来破られる事のなかったアワーレコードの更新に成功、また個人追抜競争の世界選手権でもこのオールド・フェイスフルは使われ、優勝している。
現在では、このオールド・フェイスフルで国際自転車競技連合(UCI)公認の競技に参加する事はできない。しかし、自転車の工学的な可能性に貢献した理由からエディンバラのスコットランド博物館に保管展示されている。
[編集] UCIとの確執
しかしオブリーの記録は一週間も経たない間にクリス・ボードマンが更新。さらにUCIが使われる自転車の規定を変更、彼の独創的なスタイルは禁止される事となる。さらにこの変更は明文化されていない状態でもあったので、彼が個人追い抜きの世界選手権開始の一時間前にその変更の事実を知るという事もあった。また同年彼の兄弟が死去、彼は鬱病に苦しむ事になる。このような四面楚歌の状態を克服し、彼は新たなポジションを考案する。今度は腕をまっすぐ前方に伸ばすポジション(『スーパーマン・ポジション』『オブリー・ポジション・マーク・ツー』と呼ばれる)を考案、再び1994年4月27日にアワーレコード(52.713km)を奪取した。(なおこの記録は、同年9月2日にミゲル・インドゥラインが53.040kmを出して更新している)
現在ではUCIがアワーレコードを『伝統的な(すなわち空力効率のために特化したエアロ形状になっていない)』形状のトラックレーサーで行うこととし、1972年のエディ・メルクスの記録(49.43195km)をベースとすることになってしまったので、オブリーの記録は公式記録としては抹消されてしまっている。しかし記録のための最新機材、風洞実験などを購う資金のないセミアマチュアの自転車選手である彼が、革新的な発想とそれを具現化させる努力をもって最大の栄誉であるアワーレコードの更新記録を樹立したという業績、また前述のように伝統を尊ぶUCIが課す度重なるルール変更にもめげずに自転車競技の技術的可能性を追求した姿には現在でも賞賛の声が多い。
現在はスコットランド、ローランド地方の港町アーヴァインで妻と2人の子供と平穏な暮らしを営んでいるが、現在でも現役の自転車選手として地域の自転車競技に参加する事もあると言う。2003年に自伝『フライング・スコッツマン』を執筆、2006年にはジョニー・リー・ミラー主演で同名の題名(但し邦題は『トップ・ランナー』)で映画化されている。
[編集] 脚注
- ^ Old Faithful、ロードスター型自転車の一種をこう呼ぶ。