グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グスタフ6世アドルフ Gustav VI Adolf |
|
---|---|
スウェーデン王 | |
在位 | 1950年10月29日 - 1973年9月15日 |
姓名 | オスカル・フレドリク・ヴィルヘルム・オラフ・グスタフ・アドルフ・ベルナドッテ |
出生 | 1882年11月11日 ストックホルム |
死去 | 1973年9月15日(満90歳没) ヘルシンボリ |
推定相続人 | カール16世グスタフ |
配偶者 | マーガレット・オブ・コノート |
ルイーズ・マウントバッテン | |
子女 | グスタフ・アドルフ シグヴァルド イングリッド ベルティル カール・ヨハン |
王朝 | ベルナドッテ王朝 |
父親 | グスタフ5世 |
母親 | ヴィクトリア・フォン・バーデン |
グスタフ6世アドルフ(Gustaf VI Adolf, Oskar Fredrik Wilhelm Olaf Gustaf Adolf Bernadotte、1882年11月11日 - 1973年9月15日、在位1950年-1973年)は、スウェーデン王。ベルナドッテ朝第6代国王。前国王グスタフ5世の子。母はバーデン大公フリードリヒ1世の娘ヴィクトリア。
[編集] 生涯
父グスタフ5世が長寿のため、彼が王位についたのは68歳になってからだった。その間に王太子となるはずだった長男ヴェステルボッテン公グスタフ・アドルフ王子が、航空事故より1947年にコペンハーゲンで亡くなっており、遺された孫のカール・グスタフはまだ幼児だったため、「グスタフ6世アドルフを最後に王制を廃止して共和制に移行すべき」という議論が議会でたびたび行われた。しかし、グスタフ6世アドルフ自身も父に劣らぬ長寿を保ち、その間にカール・グスタフが立派に成人したこともあって、王制存続が確定した。
グスタフ6世の最初の妻は、イギリス王族(サクス=コバーグ=ゴータ家)であるコノート公アーサー(ヴィクトリア女王の三男)の娘マルガレータである。2人の間にはグスタフ・アドルフをはじめ5児が生まれるが、1920年にマルガレータは急死した。1923年、ミルフォード=ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンの娘で、ルイス・マウントバッテン卿の姉に当たるルイーズと再婚する。
グスタフ6世は、政治的行動を全く取らなかった。これは、スウェーデンの王権の有効性を自ら否定し、後の新憲法による象徴的王制へと転換していく端緒となった。父王グスタフ5世の頃から王権は制約されていたが、6世の時代はすでに歴史の必然となっていた。 また、グスタフ6世は、考古学の専門家として、学者国王として君臨した。そして、スウェーデンの国是となった、国の標語:För Sverige i tiden (スウェーデン語:スウェーデンのために、時代と共に)は、グスタフ6世が国王即位の時にスウェーデン国民へ向けて発せられた、政治的な誓いのスローガンである。
[編集] 子女
- グスタフ・アドルフ(1906-1947)
- ヴェステルボッテン公、現国王カール16世グスタフの父
- シグヴァルド(1907-2002)
- ウップランド公、のちヴィスボリ伯
- イングリッド(1910-2000)
- ベルティル(1912-1997)
- カール・ヨハン(1916-)
- ダーラナ公、のちヴィスボリ伯
|
|
|