クレメンス5世 (ローマ教皇)
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クレメンス5世(Clemens V 1264年 - 1314年4月20日)は、14世紀初めのローマ教皇(在位1305年 - 1314年)である。教皇庁をアヴィニョンに移転し、アヴィニョン捕囚の時代になった。
フランス出身、本名はベルトラン・ド・ゴ(Bertrand de Gouth)。ボルドー大司教であった。前教皇の死去後、1年の空白があり、アナーニ事件以来、教皇庁への圧迫を強めたフランス王フィリップ4世の後押しによって教皇に選出される。リヨンで戴冠式が行われ、フランス人枢機卿を多数任命した。
1308年に教皇庁をアヴィニョン(当時はプロヴァンス伯アンジュー家の領内)に移転させ、以後アヴィニョン捕囚の時代は70年近く続くことになる。またフィリップの要請を受け、テンプル騎士団を異端と宣言し、解散させた。 1311年、リヨン近くのヴィエンヌで公会議を開催する(ヴィエンヌ公会議)。
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