ガエル・モンフィス
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ガエル・モンフィス |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Gaël Monfils |
フルネーム | Gaël Sébastien Monfils |
国籍 | フランス |
出身地 | 同・パリ |
生年月日 | 1986年9月1日(21歳) |
身長 | 193cm |
体重 | 80kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 2004年 |
ツアー通算 | 1勝 |
シングルス | 1勝 |
ダブルス | 0勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 3回戦(2007) |
全仏 | ベスト4(2008) |
全英 | 3回戦(2005・07) |
全米 | 2回戦(2006) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 23位 |
ダブルス | 243位 |
Template |
ガエル・モンフィス(Gaël Monfils, 1986年9月1日 - )は、フランス・パリ出身の男子プロテニス選手。伝統の長いフランスのテニス界で、伸び盛りの若手男子選手の1人として活躍している。シングルス自己最高ランキングは23位(2006年6月)。2005年8月にポーランド・ソポトの大会でATPツアー初優勝を挙げた。身長193cm、体重80kgの長身選手。フルネームは Gaël Sébastien Monfils (ガエル・セバスチャン・モンフィス)という。
モンフィスの家族は、父親がグアドループ島出身の会社員で(フランス・テレコム勤務)、母親はマルティニーク島出身の看護婦であり、モンフィスは西インド諸島のルーツを持つ。モンフィスはバスケットボールにも関心が深く、「テニス選手にならなかったら、バスケットボールをしていただろう」と話したこともある。2004年は4大大会のジュニア男子シングルスで、全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドンの3連勝を成し遂げた。同年にプロ入り。2005年8月にポーランド・ソポト大会の決勝でフロリアン・マイヤー(ドイツ)を 7-6, 4-6, 7-5 で破り、男子ツアー初優勝を達成。その後、10月のフランス・メッツ大会の決勝でイワン・リュビチッチ(クロアチア)に敗れた準優勝がある。この躍進を評価されて、モンフィスは男子プロテニス協会の2005年度「最優秀新人賞」を受賞した。
2006年全仏オープンで、モンフィスは初めて4回戦に進出した。この大会では、3回戦で第8シードのジェームズ・ブレーク(アメリカ)を 6-2, 6-7, 7-6, 5-7, 6-4 のフルセットで破ったが、続く4回戦でノバク・ジョコビッチ(セルビア)に 6-7, 6-7, 3-6 のストレートで敗れた。2007年全豪オープンでは、モンフィスは2回戦で前年度の準優勝者マルコス・バグダティス(キプロス)を 7-6, 6-2, 2-6, 6-0 で破って注目を集めたが、続く3回戦で同じ年のフランス人選手、リシャール・ガスケに敗れた。
それからしばらく不調が続いたが、2008年全仏オープンで初めてのベスト4に入り、自らの4大大会自己最高成績を更新した。初進出の準決勝で、モンフィスは第1シードのロジャー・フェデラーに 2-6, 7-5, 3-6, 5-7 で敗れた。