カルロ2世 (ナポリ王)
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カルロ2世(Carlo II d'Angiò, 1248年? - 1309年5月5日)は、カルロ1世(シャルル・ダンジュー)の子。ナポリ王の地位にあった。
1282年、父カルロ1世がシチリアの晩鐘事件でシチリア王位を追われると、父と共にナポリに逃亡してアラゴン王ペドロ3世と戦う。しかし1284年、アラゴン海軍と戦って敗れて捕虜となった。
1288年、シチリアを完全放棄するという条件で釈放され、父の後を継いでナポリ王として即位する。しかし父以来の宿願であるシチリア奪還を諦めず、1289年には巧みな政治工作でローマ教皇からシチリア王として戴冠を受けた。また神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の娘を息子カルロ・マルテッロの妻として、ハンガリー王国の摂政を名乗らせて、同国の王位継承争いに介入した(カルロ・マルテッロは1295年に24歳の若さで死亡したが、後にその息子のカルロ・ロベルトがハンガリー王カーロイ1世となる)。こうした情勢を背景にして、当時のシチリア王であったフェデリーコ2世と戦ったが、結局、シチリア領を奪還することはできずして1309年に死去した。
彼は父からアカイア公国も継承したが、自分がシチリア王として戴冠した1289年に兄フィリップ(1277年没)の未亡人であったイザベル・ド・ヴィルアルドゥアンがラテン帝国継承者の近親フロラン・ド・エノーと再婚すると、これに譲った。しかしフロランの死(1297年)後、1301年にイザベルがフィリップ・ド・サヴォワと再々婚し共治に乗り出した事には難色を示し、これを廃して自身の息子フィリップ(フィリッポ・ディ・ターラント)を公位に就けた(1306年6月5日)。
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