アーマー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アーマー | |
地方: | アルスター地方 |
州: | アーマー州 |
人口: | 14,590人 |
面積: | ?km² |
位置: | 北緯54度20分20秒 西経06度39分21秒 |
外部リンク: | アーマー公式サイト |
アーマー(Armagh)はアイルランド(現在はイギリス統治下)の北アイルランドのアーマー州の州都。北アイルランドの市では最も、アイルランド島では2番目に人口が少ない市である。1790年に設立されたアーマー天文台がある。
目次 |
[編集] 歴史
アーマーの歴史は約紀元前600年のケルト人の時代にまでさかのぼられる。当時はマーハ女王がこのあたりを支配していた。当時の遺跡であるエイン・マーハ(ナバン・フォート)が市の西端にある。エイン・マーハは北アイルランドでは重要な古代遺跡であり、棄却されることとなったが世界遺産への登録を申請したこともある。マーハ女王の名はアーマーの地名の由来になっており、かつて丘を中心に発展したアーマーはマーハ女王の丘を意味する「アード・マーハ」と呼ばれていた。それが徐々に「アーマー」に変化したのだ。
445年には、ローマ教皇からケルト人にキリスト教を布教するという役目を受けたパトリキウス(聖パトリック)がアーマーに布教活動拠点となるな教会を設立した。このとき彼はアイルランドに元々存在したケルトの宗教観を改宗させるのではなくキリスト教とケルトの宗教観を融和させる形を取りキリスト教を布教した。布教活動の拠点であった教会があったことから、アーマーはアイルランドで宗教上重要な都市とされることがある。
1014年に当時この地を支配していた古代スカンジナビア人をアイルランドから追い払ったことで知られるブライアン・ボルーが、アーマーにある聖パトリック大聖堂の墓地に葬られている。
1986年1月1日にアルスター警察(RUC)のジェームズ・マッキャンドレスとマイケル・ウィリアムスの2人が、遠隔爆弾でアイルランド共和国軍によって殺されるという事件が起こった。
[編集] 人口
人口14,590人のアーマーはアイルランドでは中型の都市(人口10,000~18,000)と分類される。以下の統計はアーマー市全体に占める割合である。
[編集] 教育
アーマーは5世紀のパトリキウス(聖パトリック)の時代から教育の街として知られる。その始まりは、パトリキウスがアーマーで教育を受けた者だけが、布教を行えると言う規定を定めたことに始まる。その後、1608年に開校した王立学校を中心に教育が行われ、18世紀にはロビンソン大司教の援助により大学の建設が計画されたが、実現へは時間がかかり1990年代にベルファスト大学の出張所が開設されたことによりようやく成し遂げられた。
[編集] 交通
アーマーにはかつては鉄道があったが、廃線されたため現在はバスが移動の中心となる。
[編集] アーマー鉄道史
1848年に、アーマーから北アイルランドの中心都市であるベルファストへ通ずる鉄道が開通した。その後1858年にモナハン、1864年にニューリー、1909年にケディーへの鉄道路線が開通した。1889年にニューリーへの路線で鉄道災害が起こった。その後、1933年にニューリーへの路線が、さらに1957年には他のすべての路線が廃線となった。