アンドレイ・パベル
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アンドレイ・パベル |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Andrei Pavel |
国籍 | ルーマニア |
出身地 | 同・コンスタンツァ |
生年月日 | 1974年1月27日 |
身長 | 182cm |
体重 | 86kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1990年 |
ツアー通算 | 9勝 |
シングルス | 3勝 |
ダブルス | 6勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 4回戦(1999・2004) |
全仏 | ベスト8(2002) |
全英 | 3回戦(2000・02) |
全米 | 4回戦(2000・04) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 13位 |
ダブルス | 18位 |
Template |
アンドレイ・パベル(Andrei Pavel, 1974年1月27日 - )は、ルーマニア・コンスタンツァ出身の男子プロテニス選手。普段はあまり目立たない存在の選手だが、長年にわたりルーマニアのテニス界を代表する選手として活躍してきた。これまでにATPツアーでシングルス3勝、ダブルス6勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス13位、ダブルス18位。身長182cm、体重86kg、右利き。
アンドレイ・パベルは1991年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップのルーマニア代表選手に初選出され、1992年の全仏オープン男子ジュニア部門で優勝した。1994年以後デ杯に連続出場を続け、これまでにチーム歴代3位タイの「38勝20敗」(シングルス30勝13敗、ダブルス8勝7敗)を記録している。1996年のアトランタ五輪でオリンピックにも初参加したが、男子シングルス1回戦でスペイン代表のセルジ・ブルゲラに敗れた。パベルのツアー初優勝は、1998年4月の「ジャパン・オープン」である。決勝でジンバブエのバイロン・ブラックを 6-3, 6-4 で破り、初めてのシングルス・タイトルを日本で獲得した。4大大会で初めての好成績は、1999年の全豪オープン4回戦進出である。2000年は全米オープンでも初の4回戦に進出した。2001年の「カナダ・マスターズ」で、パベルはパトリック・ラフターを 7-6, 2-6, 6-3 で破って優勝したが、現時点ではこれを最後にツアーのシングルス・タイトルから遠ざかり、その後は3度の決勝戦に敗れている。
2002年の全仏オープンで、アンドレイ・パベルはアレックス・コレチャとの準々決勝まで勝ち進み、4大大会の自己最高成績を出した。2004年は全豪オープンと全米オープンの2大会で4回戦進出を記録し、同年10月25付で世界ランキングを自己最高の13位に上げた。全豪オープン4回戦では第3シードのファン・カルロス・フェレーロに競り負けたが、全米オープンでは第1シードのロジャー・フェデラーとの4回戦に出場できなくなり、不戦敗に終わった。2005年はデビスカップで好成績を出し、ルーマニア・チームは「ワールドグループ」1回戦でベラルーシを破り、クロアチアとの準々決勝に進んだ。2006年はダブルスで年間3勝を挙げ、全仏オープンの男子ダブルスでドイツのアレクサンダー・ワスケとペアを組んで準決勝に進出している。ところが、全米オープンの男子シングルス1回戦で、パベルはこの大会を最後に現役引退することになったアンドレ・アガシと対戦することが決まった。試合は第1セットから第3セットまでタイブレークにもつれこみ、パベルは第1セットを 7-6 で先取した後 6-7, 6-7, 2-6 でアガシに敗れてしまった。