アレックス・コレチャ
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アレックス・コレチャ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Álex Corretja |
フルネーム | Álex Corretja Verdegay |
国籍 | スペイン |
出身地 | 同・バルセロナ |
生年月日 | 1974年4月11日 |
身長 | 180cm |
体重 | 72kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1991年 |
引退年 | 2005年 |
ツアー通算 | 20勝 |
シングルス | 17勝 |
ダブルス | 3勝 |
生涯通算成績 | 541勝396敗 |
シングルス | 438勝281敗 |
ダブルス | 103勝115敗 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 3回戦(1998) |
全仏 | 準優勝(1998・2001) |
全英 | 2回戦(1994・96) |
全米 | ベスト8(1996) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 2位 |
ダブルス | 50位 |
Template |
オリンピック | ||
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男子 テニス | ||
銅 | 2000 | ダブルス |
アレックス・コレチャ(Álex Corretja, 1974年4月11日 - )は、スペイン・バルセロナ出身の男子プロテニス選手。1998年と2001年の2度、全仏オープンの男子シングルスで準優勝した。シングルス自己最高ランキングは2位。ATPツアーでシングルス17勝、ダブルス3勝を挙げた。身長180cm、体重72kg、右利き。
1991年にプロ転向。コレチャが世界的な知名度を上げたのは、1996年の全米オープン準々決勝であった。この時はピート・サンプラスと最終第5セットのタイブレークまでもつれる死闘になり、サンプラスが試合の終盤に脱水症状を起こしながらも、王者の意地でコレチャの挑戦を退ける壮絶な試合だった。この名勝負で挑戦者のコレチャは一躍有名になる。1998年の全仏オープンで初の4大大会決勝進出を果たしたが、そこでコレチャは2歳年下のカルロス・モヤと「スペイン対決」を戦い、モヤに 3-6, 5-7, 3-6 のストレートで敗れた。その雪辱を果たすかのように、同年の男子プロテニスツアー最終戦(世界ランキング上位8人しか出場できない大会、現在の名称は「テニス・マスターズ・カップ」)の決勝戦では、モヤに2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)からの大逆転勝ちを収めて、同大会に初優勝を飾った。
1999年の全豪オープンで、第2シードのコレチャは1回戦で日本の鈴木貴男と対戦する。第4セットで鈴木に絶好のチャンスが訪れたが、コレチャが最終第5セットで鈴木を振り切る。鈴木はこの敗戦により、世界に羽ばたく絶好のチャンスを逃すことになった。コレチャ自身は続く2回戦でノルウェーの選手に敗退する。翌年の2000年全豪オープン2回戦では、地元オーストラリアの新星レイトン・ヒューイットにわずか1ゲームしか奪えずに完敗した。ヒューイットはここから世界的な快進撃を始めることになる。
2001年の全仏オープンで、コレチャは同大会に3年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、今度はブラジルのグスタボ・クエルテンに 7-6, 5-7, 2-6, 0-6 で敗れ、またしても準優勝に終わった。2002年の全仏オープンでは、準決勝で同じスペインのアルベルト・コスタに敗れている。2005年4月最終週、ポルトガル・エストリル大会の1回戦で同じスペインの後輩選手、フェリシアノ・ロペスに敗れた試合を最後に現役を引退した。
スペインには赤土のクレーコートが最も多いため、当地のプロテニス選手は全仏オープンでは抜群の強さを発揮するが、対照的な芝生コートの大会であるウィンブルドンを苦手にする選手が多い。コレチャはキャリアを通じてウィンブルドンへの出場は極端に少なく、1998年の全仏オープン準優勝の後に出場したウィンブルドンでは初戦敗退に終わったため、長い間遠ざかっていた。2004年に6年ぶりの出場を決めた時も、やはり1回戦で敗退している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- アレックス・コレチャ (英語) - ATPツアーのプロフィール
- デビスカップ成績表