アハメッド・ズウェイル
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アハメッド・ズウェイル(アラビア語:أحمد زويل、Ahmed Hassan Zewail、1946年2月26日-)はエジプト生まれの、エジプト系アメリカ人化学者。フェムト秒化学の発展の功績に対して、1999年度のノーベル化学賞を贈られた。アハメッドは、アレキサンドリアの南東60kmにあるダマンフールの街に生まれ、ディスークで育った。アメリカに移住する前、アレクサンドリア大学で最初の学位を取り、後にペンシルバニア大学で博士号を取得した。カリフォルニア大学バークレー校でしばらくポスドクとして過ごし、1976年にカリフォルニア工科大学で学部特認のポストを得た。そしてこれ以降ずっとカリフォルニアに留まっている。1982年にはアメリカ合衆国に帰化した。
アハメッドの最も大きな業績はフェムト秒化学、すなわち化学反応をフェムト秒単位で見る研究法の創始である。超短パルスレーザー技術を用いて個々の素反応の遷移状態を解析できる程度のスケールで化学反応を記述することが可能となった。
1999年、アハメッドはモハメド・アンワル・サダト(1978年平和賞)、ナギーブ・マフフーズ(1988年文学賞)に次ぐ3人目のエジプト出身のノーベル賞受賞者となった。ノーベル賞のほかに、1993年のウルフ賞化学部門、1997年のRobert A. Welch賞を受賞している。また1999年にはエジプトで最も権威あるGrand Collar of the Nileを贈られている。北京大学は2004年に、ケンブリッジ大学は2006年に名誉博士号を贈った。アハメッドには妻と4人の子供がいる。
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