FBモンディアル
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FBモンディアル (FB-Mondial)は、イタリア・ミラノのオートバイ製造会社(メーカー)。1948年にボゼッリ兄弟が設立し[1]、1979年に解散。後、同社のブランドは他社に渡り、一度は復活に漕ぎ着けたが、その後は裁判管轄に置かれるなどの命運を辿っている。
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[編集] 歴史
[編集] 創業から解散
第二次世界大戦以前は配達用三輪バイクを製造していたボゼッリ兄弟は、戦後本格的なオートバイ生産に着手した。1950年代にはロードレース世界選手権で同社のマシンが活躍を見せ、延べ6人のチャンピオンを輩出した。FBモンディアルは、試作段階に止まりこそしたがドゥカティよりも早くデスモドロミック式バルブ機構を開発するなど高い技術力を誇った。それは世界が認めるもので、1957年、本田宗一郎はイタリア貴族を通じて125ccや250ccクラスでタイトルを獲得していたFBモンディアルのレースバイクを入手して世界で戦う競争力を得るために研究やテストを重ねる程だった。このオートバイは現在、ホンダのツインリンクもてぎにあるコレクションホールに展示されている。
しかし、1957年シーズン終了後にはジレラやモト・グッチなど他のイタリア系メーカーともども販売不振やコスト増大が問題となり、レースからの撤退を決断した[1]。その後1979年に会社は一度解散する。
[編集] 復活と混乱
1999年、若かりし頃バイクに熱中していたイタリア出版界の大物であるラストラ社のロベルト・ジレッティ(Roberto Ziletti)は、ボゼッリ兄弟の親族からFBモンディアルの権利を買い取り、高名なバイクメーカーを所有する夢を叶えた。彼は2000年、ホンダ・VTR1000 SP-1/2のエンジン融通を受けた『ピエガ』(Piega)[2]を発表した。この際、かつてFBモンディアルを参考に技術開発をした経緯からホンダも協力的だったと言われている。
父の死去に伴いロベルトがラストラ社を継ぎ、PS版など印刷機材事業を三菱化学から譲渡を受ける[3]と、FBモンディアルにかまけていられなくなってしまった。既に1100万ユーロ以上を同事業に注ぎこんでいたが、これをスイスの企業に運営委託させようとして失敗し、2004年7月にはアルコレの工場は35台の『ピエガ』とともにモンツァの破産裁判所に差し押さえられた。
アメリカ合衆国のアンドリュー・ライトは、2005年2月28日に裁判所を通じてFBモンディアル買収に動いていたとインタビューで答えたが、7月27日には別の買手が落札した。アンドリューは異議を申し立てが、当の本人が密輸・詐欺などの容疑で有罪宣告を受け[4]、2006年12月に逃亡するなどFBモンディアルの権利を巡る状況は混沌としている。
[編集] 脚注
- ^ a b Erwin Tragatsch著 『The Illustrated Encyclopedia of Motorcycles』 New Burlington Books刊、1979年。Quarto Publishing刊、1988年、p260、ISBN 0-906286-07-7
- ^ "PIEGA (日本語)" 有限会社ライダースクラブ. 2008年1月11日閲覧.
- ^ "P米国印刷機材事業子会社の譲渡について (日本語)" 三菱化学プレスリリース: 2002-04-05. 2008年1月11日閲覧.
- ^ "Conviction (英語)" USDoJ.gov: 2007-01-07. 2007年1月27日閲覧.